捻挫も完治し、結婚式まであと2週間と迫った7月の下旬、 工藤邸はこれまでにいないほど大騒ぎだった。 〜永久花・20〜 「ちょっと、雅斗。今、何時!!」 「時計くらい、自分で見ろ。俺は忙しいんだ。」 右手にブラシ、左手にドライヤーを持った由佳の声に 雅斗は食卓にあるパンを口にくわえたまま器用に返事を返す。 「午前8時。飛行機出発まであと30分よ。」 「ありがと、って、なんでくつろいでるのよ!!由梨っ。」 「どうでもいいけど、主役2人は?」 「えっ。ああああーーー。忘れてたっ。」 ドタドタと階段を上がっていく音に由梨は軽くため息をつくと、 カップに残ったコーヒーを飲み干した。 さわやかな夏の光がうっすらと射し込み、 白いカーテンにベランダで遊ぶ雀の影が映っている。 快斗はそんな朝の情景を楽しみつつも、 “やっぱりこの眺めが絶品なんだよな〜”と思った。 目の前で安らかな眠りを続けている愛しい人。 昨晩の所用の為か少し疲れた表情をしている。 時折、温もりを求めて体を刷り寄せたり、う〜んと寝言を発したり 見ていて飽きないとはまさにこの事。 露わになった白い肌に肩まで伸びた漆黒の髪がよく映える。 快斗はゆっくりとした仕草で新一の髪に指を絡ませて遊んでいた。 そして、歯止めの利かなくなりそうな欲望を介抱してしまおうかと思った瞬間 奇しくも扉は開け放たれる。 「ストーーーップ!!!」 バターンと扉が壊れんばかりに壁に打ち付けられて、 そこには息を切らした由佳が立っていた。 腕の中にいた新一もさすがにこの物音には目を覚ましたらしく、 う〜んと声を発しながらコシコシと目元をかいている。 普通なら両親のこんな姿を見たならば子供は絶叫するところだろうが あいにく由佳はなれているために特に気に留めた様子はない。 それどころか、“寝起きのお母さんはかわいいわよね〜”なんて呟いている。 「良かった。間に合ったみたいね。」 「何だよ、由佳。そんなに慌てて。」 傍に脱ぎ散らかしたジーパンを布団に入ったままたぐり寄せると 快斗は不満げな表情で由佳を見た。 「そりゃ、慌てるわよ。今、何時か分かってるの?」 「何時って、目覚まし通りに起きたし・・・・。」 ピキッと時計を確認して快斗は固まる。 確かに今朝は目覚ましを6時にセットして余裕をもって起きたはず。 それはきちんと記憶にある。 つまりは・・・ 「お母さんに2時間も見とれてた・・・とか言わないよね?」 「てへ♪」 「てへっ、じゃないっ。とにかく、あと5分で出発するからね。」 由佳は軽い目眩を覚えながらも、再び自分の作業へと戻った。 それから、車を快斗が猛スピードで飛ばし、 途中でスピード違反のため警察に捕まりそうになったが、それを上手くまいて どうにか最終搭乗案内にギリギリ間にあった。 だが、席に着いた頃にはどっと疲労感が押し寄せて 新一はふかふかのシートに体を埋める。 「はぁ〜。マジで疲れた。」 「はじめてだね。こんな事。」 「おまえが昨晩やりすぎるからだろ。」 「それは、誘う新一が悪いんだよ。」 「ばっ、俺は誘っちゃいねー。」 「仲がよろしいんですね。新婚旅行ですか?」 突然割り込んできた声に2人は驚いたように声の出所に視線を向けた。 するとそこには鮮やかなハイビスカスのシャツに黒のエプロンを纏った 客室乗務員が笑顔でこちらを見ている。 手には群青色のブランケットを持っているので、 おそらく必要の有無を聞きに廻っているのだろう。 「新婚に見えます?」 快斗は2人分、ブランケットを受け取っておどけたような口調で彼女に尋ねた。 それにその女性も“ええ”と微笑みながら頷く。 「後ろにいらっしゃるお客様は、どちらかのご兄弟ですか?」 そして女性は後ろで雑誌を読みふけっている4人に視線を向けた。 ご兄弟。 確かに顔つきも同じだし、見た目からすれば充分そうも見えるだろう。 「残念ながら、子供です。」 「また、そんなご冗談を。」 客室乗務員の女性は快斗の冗談だと思ったのか クスッと笑うとそそくさと仕事に戻っていった。 飛行機に乗ること7時間。 6人はついに、日本人に一番人気のハワイに到着した。 南国風のかおりのする到着ロビーに出て新一はう〜んと伸びをする。 機内では昨晩の疲れで爆睡していたものの、やはり体のあちこちが痛かった。 「優作さんと有希子さんが来るんだよね?新一。」 「ああ、そう言ってたけど。」 ぐるりと見渡しても、それらしき人物は見あたらない。 あれだけ目立つ2人だ。おそらくまだついていないのだろう。 「ねぇ、お母さん。」 「ん?」 新一がキョロキョロと辺りを見渡していると由梨が声をかけた。 「ちょっと、お手洗いいってきてもいい?」 「ああ、だけど1人じゃ・・。」 新一は数十メートル離れた先で、 空港内に備え付けられた水槽を眺めている由佳を呼ぼうとする。 だが、声をかけようとする前に由梨はすでに走りだしていた。 「高校生だから大丈夫。ちょっと、行ってくる。」 「おい、由梨っ。」 新一の声も虚しく由梨は人混みのなかに消えていく。 だけれど、そんな新一の声を聞き取ったのだろう、 由佳が慌てたように彼女を追っていく姿が視界の端に映った。 「新一。快斗君。」 荷物を傍らに置いて木製の長椅子に座っていると、 息切れしながら名前を呼ぶ声が耳に入った。 「父さん。何してたんだ?」 「ちょっと、車が混んでいてね。有希子はお手洗いに行ってるんだよ。」 そう言うと優作は車のキーを背広から取り出し、快斗に手渡す。 「言い憎いんだが、これから出版社の打ち合わせがあってね。 有希子を連れて観光なんかしててくれないかい?快斗君。」 「え、あ、良いですよ。それにしてもお仕事大変ですね。」 「まぁ、老体をいたぶる出版社の堅物にはなれているからな。」 “若い頃に困らせたつけでも廻ってきたのかな”と付け加えると 優作は苦笑しながら再び出口の方へ歩き出した。 トイレから戻ってきた3人と合流して、 車に乗り込んだ時には太陽は南中にさしかかっていた。 左車線の道をとまどうことなく快斗は軽快な運転で車を走らせる。 夏休み中のためか、日本人らしき集団が街路にちらほら見えた。 「そうそう、新ちゃん。これ、新ちゃんでしょ?」 「は?」 由佳達と話ながら盛り上がっていた有希子だったが 何かを思いだしたように 鞄から雑誌を取り出すとそれを助手席に座る新一に手渡す。 それは“ブライダル”というタイトルで、結婚専門の雑誌のようだった。 新一は半信半疑で雑誌をめくる。 そして、中央部にさしかかったとき、思わずその手が止まった。 見開き3ページほどを使って様々な写真が掲載されている。 横には小さな詞書きが添えてあり、衣装の価格と発売店が記してあった。 「うっそ、お母さんじゃん。これっ。」 後ろからのぞき込んでいた由佳が驚愕の声を上げる。 その声に攣られて雅斗達も身を乗り出した。 「本物?」 「本物に決まってるだろ。悠斗。」 「こんな美人、お母さんくらいしかいないわよ。」 由梨の言葉に由佳は大きく頷いて、ジッと雑誌を見つめる。 そして“モデルしたかったな〜私も”と愚痴った。 「なぁ、俺にも見せてよ。」 「そうね、快斗君が見るべきよね。でも、運転中は危険だから後で見せるわ♪」 「ありがとうございます。有希子さん。」 1人蚊帳の外となった快斗は不満げな声を漏らす。 新一はそれに“絶対ダメダ”と返事をするつもりだったが 身を乗り出した有希子に妨げられてしまった。 「にしても、新ちゃん。いつのまに撮ったの?この写真。」 「ああ、先日、お義母さんに頼まれてさ。」 「そうだったの。この雑誌の編集長をしてる友達に聞いたんだけどね。 このドレス、完売らしいわよ。良かったわね。」 有希子はフフッと笑って、席へと戻る。 新一はそんな彼女の言葉にホッとしながらも、 未だに雑誌を取り合いながら見ている4人に視線を向ける。 「おまえら、いつまで見る気だよ。」 「だって、この誘う視線がヤバイくらい綺麗なんだもん。」 「新一っ。何でそんな視線で映ったんだ!!」 「誘う視線なんてしてねーーー!!!」 現物を見る前から、ブツブツと文句を言う快斗に、 新一は本気でこの写真を見せたくないと思う。 そして、案の定、ホテルに到着して写真集を見た快斗は 猛ダッシュで電話を片っ端にかけ、 全ての雑誌をものの一時間で出版差し止めにし、回収したのだった。 あとがき ハワイ〜。時差がよく分からないので気にせず読んでください。 |
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