村はずれにある小さな公園に見知った人影を見つけて少年はホッとため息をついた。 だが少年に付き従うように歩いていた黒服の男は、少年以上に安堵している。 まさに命が救われた、と男は冗談で無くそう本気で思っているのだ。 前を歩く少年、つまり彼のボスに命を奪われずにすんだのだと。 〜空に刺さった三日月・前編〜 「さすがだね、世界のマジシャン。」 幼い子供たちやその保護者を相手にショーを行っていた快斗は 聞こえてきた声にふと視線を動かした。 この小さな村では見慣れない、上品な服装をした少年と堅物の黒服の男という取り合わせはなんとも異様で、 先ほどまで笑顔だった子供たちや保護者はどこか不安そうな顔色になる。 快斗はそんな二人の登場に“ショーの邪魔をするな”と内心愚痴ると、 彼らの不安を取り払うべく、人々の頭上にたくさんのキャンディーを降らせた。 途端におこる子供たちの歓声、大人たちの拍手。 一瞬で雰囲気を明るいものに変える力は、世界広しと言えど、彼くらいだろう。 「今日はここまで、みんなありがとう。」 優雅に一礼したマジシャンはポンッと音を立てて消える。 相変わらずの手腕に少年ことルースは目を細め、彼が向かったであろう場所に足を進めたのだった。 公園から程近い、村のはずれに目的の人物はいた。 どこか不機嫌そうな表情も、ルースは特に気にした様子も無い。 これがもう1人の人物、新一ならば、多少は機嫌取りに動いただろう。 「世界一のマジシャンがこんな村はずれで無料のショーか。」 「それは関係ないよ。マジシャンは人を笑顔にできればいいんだからさ。」 ニッと笑う彼にルースはフッと鼻で笑った。 これは愚問だったなとも言いたげに。 「で、レーネは?」 「迷子の猫を探す依頼を進行中。」 「世界一の名探偵が猫探し?まったく君たちは似たもの同士だ。 そのおかげで、部下を1人失うところだったよ。」 そうおどけてみせると、彼の背後に居る部下がビクっと身を縮める。 快斗はルースのそんな態度は見慣れていると言っても、どうにも我侭な態度に眉間のシワを深めた。 彼らの住処へと続く道をゆっくりと歩く。 夏には向日葵に覆われていた丘も、今はコスモスに様変わりしている。 もう少しすれば、真っ白な雪に覆われ、春になればタンポポでも咲くのだろうか。 ルースは新一のためなら努力を惜しまない快斗の性格を考え、きっと咲くのだろうと思った。 一年中、この周辺は本当に穏やかだ。 彼らがここの家に帰るのは、数ヶ月に一度くらいだろう。 それ以外は世界中を転々とし、裏組織から上手く隠れている。 だが、フランスのこの一軒家だけは、何があっても手放すことは無かった。 ルースもそれを知っているからこそ、自分の統治下ともいえるフランスであるこの村を 裏社会の関係者が立ち入ることを禁止している。内密に・・ではあるけれど。 勘の良い彼らのことだ、きっと気付いてはいるのだろう。 「この丘を上り下りするのはきついなぁ。」 「10代が何言ってるんだよ。それとも一度来て、居なかったことへの嫌味か?」 鍵を開けながら快斗は小さくため息をつく。 この家に戻ってくる時期は本当にマチマチで、 さらに滞在期間も、1ヵ月のこともあれば数日ということもあるのに ルースは間違いなく、彼らがいるときにここを訪れた。 さすがはフランスを掌握するマフィアのドンとも言えるだろう。 だが、彼のために自分達の動向を探り、 万が一外れでもしたら罰を受けるという任を担っている部下には迷惑旋盤に違いない。 快斗は彼の後ろに従えた男にチラリと同情の念を向けた。 「はい、どうぞ。部下の人もお茶くらい飲むだろう?」 「ああ。毒見でね。あとは玄関に放り出しといていいよ。」 「あのなぁ。」 まだ晩秋とはいえ、夕方の、それも風を防ぐ木も無いこの丘は肌寒い。 これだけ部下をないがしろにしながらも、ルースがボスで在り続けることができる理由が 快斗にはいまいち分からなかった。 「外に立たせてたら、新一に怒られるぞ。」 「う〜ん。確かに、彼がレーネの気をひくのは嫌だな。」 「そっちかよ。」 理由はどうあれ、男を外に立たせずにすんだことを安堵し快斗は暖炉に薪をくべる。 猫探しをしている新一も帰ってくるころには体も冷え切っているだろうし。 お湯を沸かすのも迷惑な客のためでなく、もうすぐ帰る恋人のためなのだ。 入り口に直立したままの黒服の男を視界の隅にいれながら 何が飲みたいか尋ねると、予想通りルースは『日本茶』と返す。 彼の日本びいきは相変わらずらしい。 棚から良質のお茶を取り出して、急須を準備する。 その間に湯のみを温めることも忘れない。 このひと手間を惜しめば、口うるさい客人は胸元に閉まったチャカを取り出しかねないから。 以前に一度、面倒で手抜きをしたときは、新一のお気に入りの家の壁に穴があき なぜか快斗自身もルースとともに怒られたことは今でも記憶に染み付いていた。 「で、今日は何のよう?」 お茶をまず入り口に立ったままの男に飲ませる。 この家で毒見など必要ないとは思うが、 マフィアのボスたるもの、気を抜ける場所は無いのだ。 男が頷いたのを見て、ルースはようやくお茶に手をつけた。 「もちろんレーネに会いに。」 「まだ諦めてないのかよ。」 「一生、諦めるつもりはないからね。」 レーネは僕の理想なんだ。 そう言って笑うルースは歳相応に見えて、 とてもフランスマフィアのゴッドファーザーとは思えない。 それだけ新一が彼の中で重要な位置を占めているのだと感じつつ、快斗は長年の疑問を口にした。 「そういえば、さ。新一との出会いってどこなんだよ。」 「あれ、レーネから聞いてなかったの?」 驚いたように目を見開くと、次の瞬間には、どこか勝ち誇った笑みを浮かべる。 まるで、自分と新一の間だけに秘密があるのが嬉しいかのように。 嫌な奴だと思いつつも、ここで子供の挑発にのるのも大人気ないかと快斗は黙って頷いた。 「新一からはFBIに居たころについてはいろいろ聞いたけど。 その中でルースの話は無かったからなぁ。案外道端でばったりとか記憶に薄い出会いだったのか?」 「失礼な奴だね。僕とレーネの出会いは運命的だったのに。」 「あれのどこか運命的だよ。」 声のしたほうを見れば、両手に野菜を抱えた渦中の人が呆れた表情でたっていて。 待ち人の帰宅に2人の表情は自然と穏やかなものに形を変えたのだった。 「それって、猫のお礼?」 「おう。今夜はパンプキンスープだな。」 新一は大きなカボチャを2つ、快斗に渡すと、暖炉の前でフーっと眺めのため息をつく。 やはり予想通り体が冷え切ってしまっていたのだろう。快斗はお茶を彼へと差し出した。 「サンキュ。相変わらず用意がいいよな。」 「お褒めに預かり光栄です。姫。」 「ばぁろぉ。」 「あのさ、俺のこと忘れてない?」 すっかり甘い雰囲気を醸し出すバカップル(ルースはこの音の響きが気に入っていてよく使用する) にルースは若干不機嫌になっていく。 だが、軽く咳払いして自らその空気を一掃すると、席を立って窓枠から外を見上げた。 いつの間にか外は薄暗くなっており、遠くに見える木々は夜の気配を纏い始めている。 そして薄暗い空には・・・・ 「レーネとあった日もこんな月が出ていたよね。」 振り返って微笑むルースに新一は今日の月を思い出す。 帰り際にみた月の形は確か。 「三日月か。」 幼いマフィアのボス、ルース・エスポワール。 彼との初対面は本当に穏やかなものだった。 そう。 まるで、今日の夜のように。 雲も無く風も穏やかな。 三日月のきれいな夜だった。 |