父を殺し、この地位について1年と少し。

ルースは部下を見えない位置に配置しつつも、1人、イギリスの街を歩いていた。

 

 

〜空に刺さった三日月・中編〜

 

 

もともと人通りの少ない裏路地は、さらに夜になったばかりとあってか

さらにその数は減り、たまにすれ違う者たちも、決して常識人に見える輩ではない。

 

時にはなぜここに子供がという目を向けたり、

下賎な輩に居たっては、一般人が見れば鳥肌をたてるような笑みを浮かべていた。

 

もちろん、ルースとてこのような裏路地は非合法地帯であることも知っている。

だからといって自分に喧嘩をふっかけてきたとしても、あしらう術は身につけているし

その前に物陰に隠れている優秀な部下達が一気に片してくれるだろう。

 

特に今日、自分についている部下は、父親殺しに加担してくれた数名で

彼らの忠心はある程度補償されているといっていい。

あくまで、ある程度の範囲だが。

 

そうある程度。全面的に信頼を寄せる相手など作ってはいけない。

でないと、裏切り、策略、殺戮。

その全てが蠢くこの世界で生きてきていないのだ。

 

今日は大事な取引相手の会合がある。

それまで少し時間が空いたためこうしてたまの散歩に繰り出した。

ルースは別に何か目的があったわけでも、散歩好きでもない。

 

1人の時間が欲しかっただけだ。

それでも、彼が1人の時、決して表通りは歩かない。

 

自分に危害を加えようとするものが出た時に一般人を巻き込むことは

ルースのイデアに反しているから。

 

大好きな母が自分に一番に教えてくれたことは、裏の社会に表の人間を巻き込まぬこと。

ルースは今でもその教えには忠実であり、逆に表が裏に入ってきた場合は

裏の住人であると判断し、容赦も無かった。

 

少し開けた場所に出て、ルースはふと目を細める。

ずいぶん考え事をしていたらしく、夜は足元まで忍び寄っていた。

 

ポツリポツリと灯り始めた街灯の明かりに、夜はルースに近づくことを諦め

代わりに消えていた自分の影が、再び映し出される。

 

と、その時だった。

 

ルースは同じ光の中にもうひとつ、自分と違う影があることに気付く。

 

街灯の下。

細身の白いシャツの男が、月を食い入るように眺めていたのだった。

 

 

街灯に照らされた男の目は綺麗なアメジスト。

髪がサラリとゆれ、その色はこの闇よりも深い黒。

そして彼が放つ気高いオーラはまさに・・・王妃のようだと思えた。

 

 

ルースの足音に気付いたのだろう、スッと男は視線を彼へと移す。

交わった視線の先には深い蒼が広がっており、アメジストよりも綺麗で

ルースはその宝石のような瞳がふと欲しくなった。

 

『俺の顔に何かついてるか?』

 

流暢な英語で尋ねてくる男に、ルースはここがイギリスであるのを思い出す。

本国フランスは、どうも英語というより他国の言葉を使用するものが少なく、

自国の言葉に誇りを持っているため、聞きなれていないのだ。

だが、マフィアのボスたるもの、数カ国はマスターしており、

ルースは彼の問いかけに、何語で返答しようかと逡巡する。

 

この黒い髪はルースの母に似ており、きっとあの言葉がいいだろう。

ルースは一歩、青年との間合いをつめると、ニコリと穏やかな笑みを浮かべた。

 

「いや、こんなところには似つかわしくない人がいるなと思ったんです。」

 

 

言葉が通じたのだろう。

案の定相手の男は、ルースの日本語に驚きを隠せないように目を見開いた。

 

「それは、どちらかというとおまえだろ。ていうか、日本語うまいな。」

 

 

好意的な笑みに返してくれた笑みは、ルースと同じもののはずだがどこか寂しげだ。

けれど、ルースはそれをあえて無視すると、彼にもう一歩近づいた。

 

 

「母親が日本人だから。」

「そうか。」

 

男はそれ以上言葉を発することなく再び月を見上げる。

自分がここにどうして居るかも聞かないことをルースは不審に感じた。

最初は他人に興味が無いのかと思ったが、

どちらかというと自分がここにいる理由を分かっているような。

 

ジッと頭1つ分高い男を見上げていると、フッと彼の口元が緩んだ。

 

「不思議がってるみたいだな。」

「え?」

「俺がおまえに何も聞かないこと。」

「・・・・。」

 

男は頬を軽く掻き、どう説明しようかなと困ったような表情をつくる。

 

「なんていうか、おまえ、1人で来てないだろ?」

「・・・あんた、何者?」

 

まさか部下の気配に気付いていたというのか?

ルースは一気に警戒を強め、同時に背後の部下達にまだ動かぬよう手で支持する。

得体の知れない相手に無用に突っ込んで、貴重な部下を亡くすわけにはいかないのだ。

 

「やっぱ、警戒されるよなぁ。俺、昔から裏組織に追われる身でさ。

 なんとなく分かるんだよ。殺気とか、気配とか、裏の人間の匂いとかな。」

 

「そんなことを話す必要な無かったんじゃないか?」

 

 

普通に不思議そうにここに居る理由を聞いて、

気をつけろよとでもありきたりな言葉をかけてそのままここを後にすれば、

警戒を自分に抱かせることも無かっただろう。

そう言葉の裏に含めて問いかければ、男は首を軽く振る。

 

「どうせおまえの優秀な部下が調べ上げる。

 おまえに会った不審な人間は全て。だったら先に言ったほうが俺も気が楽だし。」

 

「・・・なるほど。相当の切れ者ってわけか。で、自己紹介してよ。」

 

「工藤新一。ホームズフリークだから、今日はこの場所に来たんだ。

 ただ、それだけだから、あんまり警戒しないでもらえると助かる。」

 

軽く肩をすくめた男、工藤新一にルースは軽く眉間にシワを寄せた。

その人間の名を知らないものなど、裏社会においては存在しない。

数年前に巨大な組織を1人で倒し、戸籍上は死んだ男。

当初は警戒されていた彼だったが裏に関与したのはそのときくらいで、

別段裏社会を壊そうとしていないことは明らかだった。

 

だからこそ、彼を探す人間はどちらかというとスカウト目的で。

ルースはさらに目の前の男を傍におきたい衝動に駆られた。

 

執着などしてはいけない。

それが致命傷になることだって少なくないのだから。

現に、自分は父親の執着心をうまく利用して殺した。

 

「警戒はしないけど、君が欲しくなったんだ。レーネ。」

 

「・・・はは。今まで結構、熱烈なプロポーズはあったが、

 その誘い文句は初めてかもな。しかしレーネって。俺、男だぞ。」

 

「気高い雰囲気が王妃みたいだから。俺はずっとその名で呼ぶ。」

 

そしていつか必ず手に入れるから。と

ニコリと笑みを浮かべたルースは今までに見たこともないような

歳相応の顔をしていたとは、彼の部下の話だ。

 

次に会うときが楽しみだ。と思うルースも、彼がルースか、と

フランスマフィアのボスとの遭遇に自分のツキの無さを感じていた新一も

このときは予想だにしていなかっただろう。

次に顔を合わせるとき、本気で銃口を向けあうことになるとは。

 

 

それから1ヵ月後のこと。

ルースは最近、同盟関係を結んだアメリカのギャングと席を共にしていた。

 

ギャングとマフィア、名前は違えど似たような集団であることにはかわりない。

だが、相手の男はギャングのボスでありながら、どこか細身の狐のような男で

葉巻やパイプではなく、良質の香りのよいタバコを手にしていた。

 

そこが、ルースが彼らの組織と同盟を結ぼうとしたひとつの理由でもある。

力だけのボスなど、この世界にははいて捨てるほど居る。

 

これからは頭も必要なのだ。

 

現に目の前に座る彼が相当なキレ者であることをルースも熟知していた。

 

「で、お話しとは?」

 

ルースは基本的に相手の国に合わせた言葉を使う。

これもまた母が教えてくれた言葉、「郷に入れば郷に従え」を実践しているだけのこと。

自分の血を知っている人間ならば、奥ゆかしい日本人の血ですね、と

賛美にも皮肉にもとれる発現をするのだ。

 

特に、まだまだこの世界で言えば乳飲み子同然のボスなのだから、

こうして下手にまわるほうが話も進みやすく、油断もさせやすい。

おそらく本来のことわざの意味とはかけ離れているだろうが、

母の教えてくれた日本の先人お教えはなかなかのものだと感じていた。

 

「ひとり、貴方に殺して欲しい男がいます。」

「わざわざ、私共に手を汚せと?」

 

差し出された写真を眺め、フッと口に基を緩めると、

ルースは写真を後ろに控えた幹部の1人に渡す。

ツッと彼がその写真に息をつめたのが気配で感じられた。

 

それはそうだろう。

そこに写っていたのは、裏社会でも手出しをするにはギャンブルといわれる男。

あの巨大な黒の組織が最初にシルバーブレッドと呼んだ男だ。

 

FBIの目がある我らよりも、こちらの土地のほうが殺しやすいかと。」

「・・・それなりの見返りがあるのでしょう?この男に銃を向ける見返りは。」

「もちろんです。」

 

男は同時に違う写真を提示した。

 

「・・・なぜ、彼の写真が?」

 

「ドンが彼を気に入ったと耳にしましたからね。

 我々の情報では、彼はそのシルバーブレッドと共に行動しています。

 シルバーブレッド、いえ赤井秀一を殺せば、工藤新一も手に入りましょう。」

 

ルースは己の愚行を呪い、目の前の男を軽く睨みつける。

ほら、何かに執着した答えがこれだ。

 

でも、悪い話ではない。

自分も独自のルートで工藤新一の同行を探り、

その隣に居る男を始末しようとは考えていた。

 

だが、ここで安易に頷くほどルースも安い男ではない。

 

「まさか、彼だけだと?」

 

「いいえ。とんでもありません。必要な資金、それとひとつ私達のシマをあなたに。

 アメリカに飛び地があったほうが、何かと便利でしょう。」

 

もうフランスも征服してしまわれたのですし。

そう言って笑う男に、ルースは表情を柔らかなものにしながらも

内心は警戒心でいっぱいだった。

 

やはり狐は狐だったのだ。

もらえるシマもおそらく役に立たない場所だろう。

けれど、そこを役に立てることができるのが、このルース・エスポワールだ。

 

「この件、お受けいたしましょう。」

 

表面上の硬い握手とサインが交わされ、ギャングのボスは部屋を出て行く。

 

そこでようやく幹部の1人が表情を崩し、冷笑を浮かべながら、

コーヒーの代わりに紅茶を差し出した。

相手に合わせてアメリカンコーヒーを出したが、ルースはあまり好きではない。

飲むなら日本茶かハーブティーだ。

 

「ずいぶんとボスのことを軽く見ているようですね。」

 

「まだ、しょせんガキだからしょうがないさ。

けど、アメリカに飛び地を作ったことを後悔させてやるよ。」

 

自分好みの紅茶に気を良くしながら、再び手元の写真を眺める。

 

隠し撮りなのか、

フランスの町並みと共に彼が優雅に闊歩している様子が映し出されていた。

 

「レーネを手に入れるには、秀一が邪魔だからね。」

 

さて、どう料理してみせようか。

ニヤリと笑うルースをみれば、きっとだれも彼をただのガキとは言わないだろう。

幹部は相変わらずな上司にゾクリと寒気を感じずにいられなかった。