Prorogue 「これで全て終わったな。」 雅斗はそう口ずさんで目の前にいる、本当の瞳を付けたマリオネットを眺めた。 片目には“天使の涙”をのこりの1つには“堕天使の涙”を携えた人形。 天と悪とを兼ね備えた彼女はとてつもなく妖艶で無限の美を持っていると思う。 きっとこれからも、訪れる人々の心を捕らえて離さないだろう。 雅斗はそっとマリオネットの入ったガラスケースに手を当てた。 ちょうど、マリオネットの手がある辺りに。 そして、一呼吸付いてから彼女の瞳を見据えて 「おまえは、ただの人形だ。」 と残酷な一言を敢えて口にする。 誰かを傷付けること無ければ、誰かを包み込むことも出来ないただの人形。 その姿形はどんなに絶世の美女“エリザベート”に似ていたとしても。 「自分が人形であることを忘れるなよ。マリオネット。」 もう一度念を押すように彼女の耳元でささやいて、 雅斗は体を出口のほうへと向けて歩き出す。 決して後ろを振り返らなかった雅斗は気づかない。 彼女が一滴の涙を落としたことに。 +++++++++++++ 館内から外へと出て、雅斗は空を仰ぎ見た。 快晴とは言えないが、それなりに気持ちが良い天気だ。 母さんや由佳はそろそろ目覚めただろうか。 雅斗は近くの公園に立ち寄り、途中で買ったホッとドックを食べながら、 ふとケガをした2人のことを思い出す。 本当はすぐにでも帰りたかった。 だが、この仕事はKIDの事後処理だと快斗に言われれば、残るしかない。 「RAも崩壊して、ジェーンさんも元気そうだったし、一応は一件落着だな。」 雅斗は最後のひとかけらを食べおると、ホットドッグが包まれていた袋をぽいっと 近くのゴミ箱に投げる。 重さのないそのゴミは音も立てずに白の鉄製のゴミ箱に収まった。 そして、再び目を閉じて思い出す。 ジェーンと会った昨日のことを。 その時最後に交わした言葉を。 +++++++++++++ こちらで調達したジーンズを羽織りなおして、雅斗はまわりを見渡した。 無機質な灰色の世界と言っても過言ではない閉鎖的な面会部屋だ。 防弾ガラスには会話が聞こえるようにと小さな穴があいている。 その造りは日本のそれとあまり変わりない。 ガチャ 扉が開かれて、銀の戒めを手に付けた状態で、ジェニーが入ってくる。 彼女とこうして面と向かって話すのはこれで2回目。 随分とリラックスしている様子の彼女を見て雅斗も幾分肩の力を抜いた。 「お久しぶりね。」 両手を台の上に置いて、ジェニーは微笑んだ。 ボロ切れのような囚人服を身に纏っているとはいえ、彼女の表情に苦痛の色は伺えない。 [ドイツ語、分かるのよね。] [はい、会話はドイツ語で行えと言われましたから。] 彼女の顔色をうかがいながら雅斗は返事を返した。 ジェニーはジャラジャラと手錠を鳴らしながら、髪をすくい上げる。 風呂には毎日入れて貰えないためか、髪は重みを持ちながら動く。 [Angleのことでしょ。] [・・あれは俺達で処分して構わないんですか?] 「ええ、警察はあの存在には気づいていないから。好きにして。」 ジェニーがその内容を聞かれないためにわざと日本語を使うと、 後ろにいた監視のための警官は慌てたように彼女に忠告する。 それに、ジェニーはうっかりといった雰囲気で、警官に苦笑を見せた。 だが、警察はそんな囚人達に見慣れているのか呆れたように悪態を付く。 “これだから、東洋人との面会は嫌いなんだ”と [由希はまだ、回復していないのね。私のこと、恨んでるでしょう?] [母さんは必ず目覚めます。でも、これだけは覚えて置いてください。 母さんに手を下した時点で、この世界でもっともやっかいな人間達を敵に回したと。] [じゃあ、刑務所にいるこの先30年は安全ということね。] クスクスと彼女は又楽しそうに笑った。 懲役30年の刑罰も彼女にとっては一種の宿泊のような物なのだろう。 目的もなく復讐だけで生きてきたあの頃よりは毎日が充実しているのは間違いない。 [時間だ] 監視員の声でジェニーはゆっくりと立ち上がる。 彼女の手の鎖が外れるとき、彼女は50を過ぎていて、俺は40代になるんだな。 雅斗は重く彼女にのしかかる手錠を見て、 その時を想像してみる。30年後を想像してみる。 だけれど、全く何も浮かんではこなかった。 「いつまで、あなたは飛び続けるの?」 振り返ることなく問われる問いに、雅斗は心臓を打ち抜かれた感覚を受ける。 「飛ぶ理由が分かるときまで・・・かな。」 「早く見つかることを祈っているわ。イタズラ好きな子供さん。」 +++++++++++++ 「飛ぶ理由か・・・。」 雅斗は両手を太陽にかざす。 この手さえ有れば、自分は魔法を生み出し人々を楽しませることも出来るが、 それと同時に人を傷つけることも、何かを盗み出すこともできてしまう。 手は雅斗にとって一番大切な部分でもあり、また一番やっかいな部分でもあった。 いっそのこと、あの“ミロのヴィーナス”のように両腕がなかったら良かったのに。 そうしたら、夜空を飛ぶことはできなかったから。 雅斗は立ち上がって、時間を確認する。 日本行きの飛行機の出発時間まであと1時間あまり。 +++++++++++++ 雅斗が瞳をマリオネットに入れた時間、 それが不思議なことにそれは新一の瞳がひらいたのと同時刻であった。 まだ、夜がこの世を支配している時間帯。 新一は暗闇の中に目を凝らして隣を見る。 自分のベットに上半身を預けるようにして眠る快斗がそこにはいた。 強く、強く、自分の手を握っていた。 「ただいま、快斗。」 眠る快斗の癖髪に唇を落として、新一は病室の窓から暗い外を眺める。 眠っている間だ、マリオネットに・・いやエリザベートに会った。 夢なのか、現実なのかは分からないが、彼女は一心不乱に謝罪を述べていて 目にはたくさんの涙を溜めていた気がする。 不運の死を遂げたエリザベートと愛する者に瞳をえぐり取られた女。 時代は違えど、彼女たちのやるせない気持ちが同調して、 ジェーンを変貌させたのかも知れない。 復讐という名の鎖でジェーンを操っていたのはひょっとしたら人形自身だったのだろうか。 「まあ、いっか。」 「良くないよ、新一。」 突然聞こえた不機嫌気味の声に、新一は窓から隣へと視線を戻す。 「起きたのか?」 「起きたのか?じゃない。もう、俺がどれだけ心配したと思ってるんだよ。 異常はないのに、眠り続けてて、 一生起きなかったらどうしようって本気で思ったんだからな。」 「バカイト」 「へ?」 「だから、お前はバカイトなんだよ。」 普通ならここで“ゴメン”とかなんとか言葉が続いて2人は抱きしめ会うはずなのに。 そんな、ドラマじみたことを心の奥底で想像していた快斗は呆気にとられたように 新一を見る。 心配していた相手に“馬鹿”・・・・? 「俺がなんでお前を置いていくんだ?そんなことしたら、ご近所迷惑も良いところだ。」 「近所迷惑って・・・。」 「変に心配してんじゃねーよ。おまえのほうが・・・疲れた顔してるだろ。 そんなんで倒れられたら俺が目覚めわりーし。もう、寝よう・・ぜ。」 そう言いながら再び瞳を閉じる新一。 快斗は、規則的な呼吸を確認して、苦笑した。 起きた瞬間は、抱き合えると思っていたのに。 設定した場面とは大きく異なったけれど、これはこれでいっかと思える。 「おかえり、新一。」 新一の右手の甲に唇を落として、快斗もまた安心して眠りにつく。 哀がこの病室のカーテンを開けるまで決して誰にも妨げられることのない時間が ゆっくりとそこには流れていた。 あとがき ようやく、完結。いや、でも最後は快新濃度3%・・甘くしたかったのに。 |