Stage1

日も明けていなく、まだ闇夜に包まれた時間帯、阿笠邸の電話のベルがけたたましくなった。

哀はその音にのっそりと体をベットから起こす。

もちろん、数年前に成人式を終えた哀と博士は別々の部屋で寝ているし、

博士は一度寝たら起きない質なので、哀が起きて電話を取るしかなかった。

真冬の明け方のため、部屋は随分と冷え込んでいて、

名残惜しそうに毛布から出てスリッパを履く。

そして、ブラウンケットを羽織ると、足早に寝室を後にした。

 

 

「はい、阿笠です。」

『あ、哀姉?俺。』

「私に“俺”っていう知り合いはいないんだけど?」

 

哀は電話の相手に深くため息をつきながら、壁に掛かっている時計に視線を向ける。

時刻はちょうど5時を廻ったところだった。

昨晩、2時まで今日の講義に必要なレポートをまとめていたので、まだ3時間しかねていない。

 

それなのに・・・。

 

 

『機嫌悪そうだな?』

「別に。時差も考えないで午前5時に電話をかけてくる非常識人の知人しか

私にはいないって分かっているから。昔からね・・・。」

『やっぱ、怒ってるんじゃねーか。』

 

「で?」

 

電話越しに聞こえる声に少しだけ、本当に聞き逃してしまいそうなほど少しだけだが、

疲れが交じっているのを感じて、哀は先を促した。

 

哀が昔から旅行中に電話をする条件として付けたのは“非常事態の時”。

つまり、今、彼が電話をそれも時差を忘れるほど慌ててかけてきた理由が

哀は知りたかったのだ。

 

『で?って?』

「嫌がらせで電話をしてきたんじゃないでしょ?用件を聞いているの。」

『あ、そうそう。調べて欲しいことがあるんだけど。』

 

予想通りの悠斗の返答に、哀は事件が起こったことを確信して、メモ帳を取り出した。

 

「だいたい、そっちで起こっていることは分かったわ。」

数十分後、メモ用紙には哀の走り書きした文字の羅列。

そこには、様々な図と共に事細かに、起こった出来事が丁寧にまとめてあった。

 

「それで、悠斗。1つ言って良いかしら?」

『あ、ああ。』

 

コトリ、と手の中で遊ばれていたボールペンを電話の隣に置くと

哀は一呼吸置いて、言葉を続ける。

 

「工藤君は、最後の最後まで他人に情報を求めなかったわ。

もちろん、そこで手に入る情報量が限られていたときは別だったけれどね。

悠斗、あなたは今、資料が私より手に入る環境にあるはずよ?

それは探偵としてのプライドが低すぎるんじゃない?」

『哀姉、俺が母さんと比べられるの嫌いだって知ってるだろ?』

「ええ、知っているわ。だからこそ言っているのよ。

探偵としてその道を究めるのなら、自分の力で大切な人を守ってみたら?

まあ、どうしても無理なら・・・。」

 

『いい。朝早くから・・・ごめん。』

 

チンと電話が切れるのを確認してフウっと哀はため息をつく。

本当なら今すぐにでもオーストリアへ行きたかったし、それが無理だとしても

新一の助けになるなら、全てのコネを使ってでも必要な情報を集めたかった。

 

だけど、それはきっと今後、悠斗の為にはならない。

自分よりも新一と一緒にいる時間が多い彼らの力を上げることが、

結果的に新一を守ることになる。

 

「こんな償いかたしか知らないなんて、愚かよね。」

 

いつのまにか、朝焼けが部屋全体を包みこんでいた。

 

 

 

 

さて、悠斗が電話をかけていた同時刻、由梨もまた日本へと国際電話をかけていた。

 

「あ、和葉おばさま。朝早くからすみません。葉平、います?」

『由梨ちゃんやないの。待ってな。今呼んでくるわ。』

「お願いします。」

 

電話の奥で和葉の葉平を呼ぶ大声に、不機嫌そうな返事が返ってくるのが聞こえた。

そして、バタバタと階段を下りる音がして目的の人物が電話に出る。

 

『由梨やないか。どうしたん?わいのことが恋しゅうなったんやろ?』

「くだらないこと言わないで、今日、パソコンにメール送っといたから。

そこに薬のリストとこっちの住所を書いて置いたから送って。」

『は?海外に薬を送るなんてむずかしんやぞ。』

「平次おじさんのコネ使えば簡単でしょ。じゃあね。」

『おい、まちい。ちょ、きいとるんか?由梨、おい由梨。』

 

ガシャン

 

ツーツーと耳元で響く音に葉平は電話を投げつけた。

いつもいつも、由梨にうまく使われているのは気のせいだろうか?

 

「惚れた相手には弱いんやね、葉平も。」

「あんな奴にだれが惚れるか!!」

「そんなこと言っとると後悔するで。平次もけっこう、由希ちゃんに使われとったし。

 それに、快斗君に挨拶しに行くときは大変やろうな。親ばかやから。」

 

葉平は寝直すために二階へと上がりながら、

とんでもないことをサラサラと言っている母親に深いため息をつくことしかできなかった。

 

 

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「ずいぶんとながい散歩だな。」

朝、新一が起きてみると隣のベットは昨晩と同じく空の状態だった。

部屋に誰か入ってきたのなら、その気配で目が覚めるはずなのだが、

あいにくぐっすりと睡眠がとれたので、帰ってきた可能性はまず無いと言っても良い。

 

新一はゆっくりと起きあがるとスリッパに足を入れて寝ぼけ眼でカーテンを開ける。

オーストリアは日本の北海道よりも緯度は高いが、気候は北海道や東北ほど厳しくもない。

最低気温は、平均で−2〜3℃、最高気温が氷点下に達する日は少ないのだ。

それでも、やはり冬場のこの時期は窓には露がついている。

新一はそれを手でぬぐい取って、外の様子を眺めた。

 

昨日とは全く変わりない空が視界に広がる。

 

 

トゥルル トゥルル

 

 

後ろから響く電話の音。

軽くため息をついて受話器を取る。

なんとなくだが、誰からの電話かは予想はついている。

 

[黒羽様に外線です。おつなぎいたしますか?]

[はい、お願いします。]

 

ロビーの従業員に返事を返すと、少し間があって外線へと繋がった。

しばらくの沈黙が続く。

電話の向こうからは、激しい風の音だけが聞こえていた。

 

 

[いま、すぐ貴方のそばにいるのよ。貴方へのプレゼントを渡すためにね・・・窓の外を見て。]

最初の電話と同じボイスチェンジャーを使用した声だったが、

違ったのは携帯電話にかけてこなかったことと、

使用する言語がドイツ語に変わったと言うことだ。

 

そこを変えた理由はなんなのかと考えつつも、新一は嫌な予感を感じながら

先程、自分の手で窓を拭いた部分から外を見た。

ほんの少し前までしっかりと見えていた視界は、もう露で曇り始めている。

 

[見たが、なにがあるというんだ。まさか、人間でも屋上から落とすつもりなのか?]

新一はそう言いながら携帯電話に犯人がかけてこなかった理由を理解した。

つまり、自分をこの場所に固定するためだ。

 

電話の後ろから聞こえてくる風の音から外にいることが察知される。

それも、地上ではそう風が強く吹いている感じはないので、高い位置にいるのであろう。

それに、少しだけ震えた犯人の声。長時間外にいて冷え切っていると言った感じだ。

つまり、自分が感づいて屋上へ向かおうとするのを防ぐためにあえて、

外線を使ってホテルへ電話をかけてきたのだ。

 

[私がなぜ、携帯を使わなかったのか理解できたようですね。]

[ドイツ語は自分の知能をみくびるなと言うことか?]

[そう解したければそれで結構です。さて、そろそろ贈り物を致しましょうか。]

 

新一は出来るだけ窓辺に近づいて、ジッと外を見た。

そして、次の瞬間予想通りの物体が落下してくる。

完全に曇りきってしまった窓からは、

その物体が髪の長い女性と言うことしか確認が出来なかったが。

 

 

 

数分後下の方で、断末魔のような叫び声が響いていた。

 

 

 

[気に入ってくださいましたか?はやく、本物の瞳が欲しい・・・。]

[・・・・標的を間違えるな。]

[ええ、これが最後。次は、貴方の番ですしね。]

 

ガチャリと電話が切れて、新一はゆっくりと電話をおろす。

急いで屋上に向かう気はなかった。

どうせ犯人とはこの数日中に顔を合わせることになるのだから。

 

 

「お母さん。下で凄い騒ぎがっ。」

「・・・ああ。知ってる。」

おそらく、ロビーにでも行っていたのであろう由佳が慌てたように部屋へと走り込んでくる。

それに、冷静に返事を返している自分の声が不思議と他人の声のようだと新一には感じられた。

 

 

いつの間にか、人の死になれている自分がいた・・・。

 

 

亡くなった女性は、昨晩から寮に戻っていないと言う女子大生らしいと、

数時間後のニュースで特集を組んで報道された。

蒼い瞳はえぐり取られていて、しばらくおさまっていた連続殺人事件の再開に

ウィーンは再び恐怖に包まれる。

 

だけれど、快斗達の姿はまだホテルにはなかった。

 

 

 

どこのチャンネルにかえても、報道されているのは事件のことばかりで。

それに嫌気がさしたのか、由佳はテレビのスイッチを切ると、

大の字で背中からベッドへとダイブした。

 

「お父さん達、遅いね。」

 

天井を見上げたまま、独り言のように呟く。

 

「どうせ、事件のことでも昨日から調べに行ってるんだろう。

さしおり、由佳は俺のおもりってとこか?」

 

新一の言葉に、由佳はほそく微笑んだ。

 

 

「いつから、気づいてた?」

“内緒だったのにな”と言葉を漏らしながら起きあがり、由佳は新一に視線を向ける。

 

「最初からだな。」

「そっか。とにかく、私はお母さんをお昼までは部屋から出さないって任務があるから、

おとなしくしといてよね。」

「はいはい。」

 

由佳は新一の返事に満足したようで、ある紙切れを新一へと手渡す。

そこには、数字の羅列がぎっしりと書かれていた。

 

「お父さんや雅斗ほどうまくは出来ないけど、暇つぶしにはなるでしょ?」

「ああ、ありがと。」

ホテルに備え付けのボールペンを電話機の隣から取って、新一はすぐに暗号解きに熱中する。

由佳はそれをニヤニヤと楽しそうに眺めていた。

 

10分ほどたっただろうか。

新一は満面の笑みを浮かべて、由佳に正解を導き出されたメモを渡す。

それに、由佳は、ふーっと盛大にため息をつく。

昨晩2時間かけて作ったというのに、わずか10分足らずで解かれてしまうなんて・・。

 

「やっぱ、まだまだだな〜私。お父さんや雅斗ならもっと難しい暗号、作くれるのに」

「あいつらとは全然違ってて、面白かったぜ。

やっぱ、あの2人のはどうしても似てるんだよな。

なんか、新鮮で、久しぶりに楽しめた。」

 

「ほんと?」

 

ベッドから身を乗り出して聞いてくる由佳に新一は二つ返事を返す。

 

「本当だ。また、作ってくれよ。」

「うんっ。」

 

 

 

 

 

和やかな空間を引き裂くように

 

トゥルル トゥルル

 

本日2度目の電話が鳴った。

 

〜あとがき〜

なんか、番外編っぽくなっちゃいました・・・。

おまけに、また快斗が出てない・・。

次回は必ず出ますので、ご勘弁を(逃亡)

 

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