車でようやくドイツの国境を越えたのは数日後の夕方頃だった。

車で国境を越えるなど、島国育ちの人間には慣れない経験だが、

新一や秀一は、海外暮らしがここ数年続いているためか、

手こずることなく検問を突破する。

まぁ、検問と言ってもFBIの証明書さえ見せればいいという手頃なものなのだが。

 

 

〜旅行記・中編〜

 

 

地中海の風景とは建物や街並みの違う風景が車窓を通りすぎる。

葉が全て散ってしまった木々が寒々しく風に揺られていた。

この街に彼はいるのだろうか?

新一は外をぼんやりと眺めて、何度目になるか分からない問いかけをする。

ヨーロッパの各地を渡り歩いて彼の居所を掴んだと思えば彼はそこにはいない。

まるで、運命にもてあそばれているようだと感じるのは仕方のないこと。

 

いっそのこと会わない方がいいのではないか?

 

頭の中で誰かがそうそっとささやく。

彼との接触はある意味危険でもあるのだ。

それでも、その言葉に惑わされることは一度もなかった。

 

「なぁ。」

「ん?」

「おまえら組織の目的って何だ?」

「話の意図が掴めんな。」

秀一はまっすぐと前を見据えたままの状態で、そっけなく返事を返した。

そんな秀一を新一は暫く見ていたが、

景色が街並みから森林へと移り変わると視線を再び外へと移す。

 

FBIを信用することが新一にはできなかった。

おそらく快斗との接触を彼らもまた目的としているのだろうと思う。

でないと、自分一人の我が儘に1年以上も付き合うわけがない。

それが結果として快斗に危険を及ぼすか否かは分からないが。

 

+++++++++++++++

 

「あそこじゃないのか?小屋が見えたぞ。」

いつの間にか眠っていたのか、秀一の声に新一はゆっくりと目を開ける。

あたりはすっかり闇夜に包まれていた。

 

「ああ。ちょっと行ってくる。」

 

若い東洋人がここに越してきたと、先程、検問で情報を仕入れた。

まぁ、おそらく違うだろうけど。

新一はそんな思いを持って、車から降りる。

日の沈んだ外は予想外にひどく冷え切っていた。

 

「ほら。」

秀一は車からコートを投げ渡す。

「ここは地中海のような気候じゃないからな。」

「サンキュ。」

手渡された皮のコートを着込んで、

薄暗い中であかりを灯らせている小屋へと新一は歩き出した。

 

秀一は新一が小屋の方へ消えていったのを確認すると、

車のキーを回してエンジンを切って、車外に出る。

降りる瞬間、体調の芳しくない彼のために暖房をつけておくべきかとも考えたが

どうしてもそれはできなかった。いわゆる職業病の一種なのだろうか?

車の中には相当な情報がつまっている。機密資料もその1つだ。

だからこそ、組織では車の時のカギの管理については相当うるさい。

そこを開け放した状態にして離れることは、玄関のカギもかけずに

外出するのと同じこと例え外でタバコを吸うためだけだとしても、

たたき込まれた習慣性はそう簡単になくなることはないのだ。

 

秀一はコートのポケットに手を突っ込んで、ジッポを捜す。

そして、手にカツンと堅い物体が当たったと感じるとそれを掴んで取り出した。

銀色のジッポ。

それは初めて付き合った女からの贈り物。その女はもうこの世にはいないが。

 

シュッと火が灯り、辺りを照らす。

そこにこっちに来てから購入したタバコを近づけた。

特に銘柄にこだわりなど無かった。ただ吸えればそれで良い。

「黒羽快斗か・・・。」

煙を闇夜に向かって吐き出すと、捜し人の名を口ずさむ。

 

組織の上層部からの指令はもちろん、新一の護衛だ。

顔の利く工藤優作の頼みということだけでなく、

彼の存在はFBIとしても失うことは絶対にできない。

それだけ、やっかいな人間でもある。だが、もう一つ気密な命令があった。

それこそ、黒羽快斗という男の確保だ。

新一が知っているかどうかは分からないが、今、彼は裏でも表でも名が知れている。

裏は表で顔の利く黒羽快斗を欲し、表も裏で顔の利く彼を欲した。

まぁ、裏も表も結局は紙一重の存在でしかないのだが。

 

FBIへの勧誘。その事実を知ったらあいつはどうするだろうな。」

新一が時折思い出したように尋ねる言葉。それは自分たちの目的。

勘のいい彼のことだ。おそらくは気づいているだろう。

それでも、確かに彼は自分には一目置いていてくれる。

もし、疑っているのなら、あらゆる手を使ってこの場所から逃げているはずだ。

一流と言われる自分からであっても逃げ出すことなど彼には容易いことなのだから。

 

「シュウ。」

「早かったな。」

「ああ。そろそろ帰ろうぜ。宿無しになっちゃ困るし。」

ブルブルと体を震わせて、新一は車内に乗り込んだ。

秀一もまた、それに続く。そして、キーを差し込み暖房を全開にした。

 

指令じゃなくてもとにかくお前だけは護ってやるよ。

 

秀一はアクセルを踏みながら、横目に映る新一に向けてそっと誓いを立てるのだった。

 

どうにか空いているビジネスホテルを見つけることができた頃には

もう7時を過ぎていた。

ホテルは高級な場所に泊まることもあれば、ビジネスホテルの時もある。

それは時と場合によって様々なのだが2人とも宿には執着するタイプではないので

特に気にすることはなかった。

ただ、一度宿が取れずに車に泊まったときは朝から全身が気だるく、

寝るときは絶対に布団かベットという暗黙の了解が成立したことは確かだ。

 

「相部屋でいいよな。」

「ああ。」

秀一がカギを一本持って戻ってくる。

新一は秀一の声に顔を上げると軽く頷いた。

 

「どうした。疲れたか?」

「少し。」

「薬は?」

「さっき飲んだよ。きちんと飲まないとうるさいからな。あいつが。」

「宮野志保か。」

今は“灰原哀”だろ。シュウ。」

 

長旅には小さすぎる荷物をポーターに手渡して、2人はエレベーターに乗り込んだ。

 

通された部屋はよくあるビジネスホテルとなんら変わりはなかった。

窓の外にはドイツの夜景が輝き、所々に暗い陰を落としている。

新一はベッドにバタンと倒れると、大きく伸びをした。

 

秀一は部屋に入ってからすぐに鳴り出した携帯電話で誰かと話している。

おそらく、新しい女だろう。彼は見かけによらず女癖が悪い。

ひどいときは四股だってかけたことがあるほどだ。

 

「いい加減1人に絞りこめよ。」

電話を切って、夜景を眺める秀一に新一は呆れたような口調で声をかけた。

「今、何を言った?」

いつもならサラッとながす言葉のはずなのに、秀一の顔色は真剣だ。

何もかもを射抜くような鋭い視線を向けられて新一は一瞬、動揺する。

 

「だから、1人に絞り込めって・・・怒ったか?シュウ。」

「いや。本当にそう思うのか聞きたかっただけだ。」

「本気でそう思う。」

 

 

「なら、手伝え。」

ニヤリと笑った秀一の顔に、新一はようやくはめられたのだと気づいた。

彼は初めから怒ってなどいない。ただ、新一からの言葉を導きだしたかったのだ。

 

「女装はしない。」

「よく分かったな。」

「冗談じゃねー!!なんで、おまえの女問題に俺が荷担しなくちゃなんねーんだよ。」

「今、確かにそうしたほうが良いと言ったのはシン、お前だ。」

 

秀一はそう言って、胸元から小型録音機を取り出す。

組織で使っている物だが、そこには今まで新一が“1人に絞れ”と言っていた

言葉全てが録音されていた。

 

「明日、その女と会う。ドイツ人だ。」

「引き受けてねーだろっ。」

「なら、コインゲームだ。シンが勝ったなら諦める。」

 

新一は秀一の言葉にしょうがないといった感じで、コインを手に乗せる。

何か口論になった場合には、コインで決着をつけるのがちょっとした2人のルールだ。

 

キーンっとコインが爪にはじかれて空中を舞う。

そして、吸い込まれるように新一の白い手に収まった。

 

 

+++++++++++++++

 

 

次の日の夕方。長身の男と上品な黒のドレスに身を包んだ女がレストランに入る。

コインゲームの結果は、見事秀一の勝ちだった。

 

「くっそ。一生の汚点だ。」

「ククッ。誰にも男だとは思われねーよ。」

 

綺麗な腰まで伸びる黒髪とドレス、それに哀の発明した変声剤を飲んだため、

どこをとっても彼は1人の完璧な東洋人女性となっていた。

 

「待ち合わせはこんな高級レストランなんて、そうとうフェミニストだな。お前も。」

「相手が相手なんだよ。それに、シンもこういうところが似合う顔つきだしな。」

「俺は肩が凝るから嫌いだ。」

秀一の機嫌取りも無益のようで、新一はとりあえず案内された席に着くと、

手渡されたメニューに目を通す。どれも目が飛び出るほどの値段だ。

新一はその額に食欲をそがれながらも、テーブルにある水を見つめる。

場合によってはビンタの一発、あるいはこのお冷やを頭から・・・

なんて言うことも覚悟しておく必要があるだろう。

 

しばらくして、高級車が店の外に止まる。

そして、どこかで見たことのある顔つきの女性が、ガードマンを引き連れて降りてきた。

 

どっかでみたな?どこだっけ・・・・

 

新一の記憶は映画館へと移る。

そして、今年のアカデミー主演女優賞の記事へと・・・・。

 

「おい、あれって、ハリウッドスターじゃねーか。」

ようやく合点の言った人物は恐ろしく有名な女優であった。

演技力、そしてあのプロポーションが世界中の人々を虜にしたのだ。

ある雑誌では、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町の世界三大美女の中に加えても

相違ないほどだと讃えていたくらいだ。

 

「よく知ってるな。」

 

洋画を見るとは発見だな。そんな口調で秀一は水を一口口に含んだ。

 

「よく知ってるな?じゃねーよっ。俺なんかじゃ別れ話のキッカケにもならないぜ。」

「相変わらず分かってない。」

「何がだ?」

「とにかく、来るぞ。よろしく頼むぜ。」

 

身を乗り出す新一を落ち着かせて、秀一はさらに笑った。

これだけ笑う彼も珍しいが、今は腹立たしい以外の何者でもない。

新一は正直にそう思った。

 

『シュウ。女連れなんて良い度胸ね。』

『おまえこそ、いいのか?いっぱしのスターが顔を出して。』

『話題作りよ。』

 

女優、ミッシェル・ドゥ・エレナはそう言って2人の前に座った。

見かけ通り性格の悪そうな女。それが新一の彼女に対しての第一印象だ。

しばらく、2人の会話を新一は黙って聞いていた。

どうしてこんな大物と彼が出会ったのか不思議だったが、

話を聞いている内に彼と出会ったのは、女優に成り立ての無名の頃だと分かってきた。

そうすると、かなり長い付き合いになるはずなのに。

 

『ねぇ、あなたはシュウのどこに惚れたの?』

 

見下すような視線と共に、彼女は新一を見る。

新一はそれに少しとまどったように振る舞うと口を開いた。

相手が大女優なだけに、演技が、ばれるのではないかとも思ったが

彼女の表情から察するにその可能性は無いようである。

 

『女癖は悪いけど、謎めいたところです。』

『あら、東洋人のくせしてドイツ語、上手いのね。』

『そうでもないですよ。』

 

新一は彼女の言葉にようやく、質問の意図が分かった。

おそらく、東洋人だからドイツ語は無理だと踏んだのだろう。

だが、その思惑が外れて彼女はどこか悔しげに眉をひそめた。

 

『語学が堪能なのかしら?』

『日常会話程度。それで、世間話をする時間はないんですけど。』

 

新一は少しきつめの口調で彼女に本題にはいるように促した。

こんな格好でいるのが嫌な為なのだが、

彼女は早く別れさせたいと思っていると感じたのかひどい形相で睨み付けてくる。

これでは、天使よりは鬼だ。新一は内心でそう毒づいた。

 

『そうね、私も忙しいから単刀直入に言わせて貰うわ。シュウは渡さない。』

『彼はモノじゃない。それに貴方、とっても綺麗だけど心は汚いようですね。

 さっき見ていたけど車を降りる態度最悪でした。

 もう少しおつきをしてくださっている方々に敬意を表さないと、

 いつか崩れて足蹴にされるような存在になりますよ。確実に。』

 

勝ち誇った笑み、その美しさと言葉の真実みに周りの人達が立ち上がって拍手喝采を行う。

これで彼女のプライドは地に落ちたも同然だった。

彼女は『さよならっ』と告げて外へと向かう。ガードマン2人が新一に深々と頭を下げた。その顔はひどく穏やかで、彼らもそうとう彼女に不満がたまっていたのだろうと

安易に予想できる。

 

まさに完璧な演技だった。

 

 

 

「シュウ。これでいいな。」

「ああ、助かったよ。あいつの性格、有名になるたびに変わっていったからな。

 でも、いい女になるな。これから。」

シュウはそう言って、メニューの品を2,3,ウエイトレスに注文する。

シンは?と聞かれたが軽く彼は頭を振って“いらない”と答えた。

 

「機嫌、悪そうだな。」

「別に。」

「浮気している気分にでもなっているのか?」

「水を頭からかけるぞ。」

 

ドスの利いた視線と言葉で新一はシュウを見据える。

それは先程の女性像とはかけ離れた姿だったが幸運なことに

ギャラリーは自らの食事に夢中のようでそれには気が付かなかった。

きっと彼らの中で新一は美しく凛々しい女性としたイメージで残っていくのだろう。

 

数分後、テーブルの上に洋食が並んだが新一は薦められても

それらに手をつけようとはしなかった。

 

あんがい、シュウの言葉は当たっていたのかも知れない。

 

新一はどこか不安な気持ちだった。

シュウのように彼もまたいろいろな女がいても可笑しくないだろう。

普通に考えても本気で忘れられている可能性の方が高いはずだ。

なぜなら、自分はこの世に存在していないことになっているのだから。

 

暫く思考に浸っていると、ダダダダッというこのレストランに芳しくない足音が耳に届く。

何処かのガキだろう。そんなことを思っていた瞬間、新一は強く抱きしめられていた。

 

 

あとがき

進んでいない?次回で終わりです、