目を覚ますと、新一は膝にあったぬくもりが無くなったことに気づいた。

アヌビスは起きてどこかに行ったのだろうか。

新一はゆっくりと起き上がり部屋を見渡す。

すっかり暗くなった室内を見渡してもアヌビスは見えず、時計すら闇に埋もれていた。

 

 

〜よひのくち〜

 

 

気づかないうちに随分と寝ていたらしい。

そう思うと急に喉の渇きを覚え、わずかな外からの明かりを頼りに

新一は冷蔵庫へと足を向けた。

 

寝る前に突っ込んだ食材を眺めながら、そういえば夕飯を作らなければと思う。

何も食べた形跡がないと、同居人が怒るだろう。

『やっぱり、行くんじゃなかった。』

そう頬を膨らます様子が簡単に想像できて、新一は苦笑を漏らした。

 

「と、水・・・。」

 

ドアポケットのミネラルウォーターに手を伸ばしかけ、

新一はふと冷蔵庫の中身に違和感を覚えた。

 

眠る前に確かに入れた。

快斗が買ってきた食材を。

豚肉と野菜と、そして・・・。

 

「なんで、魚が。」

 

決してこの家の冷蔵庫に入ることのない、

その食材に新一はスッと背筋が凍る感覚を覚えた。

 

「ここは、どこだ?」

 

そうつぶやいた瞬間だった。

ぐっと心臓を鷲掴みにさせられるような感覚に新一は前のめりにリビングに倒れこむ。

 

「カハッ」

 

全身から力が抜けていき、気が遠くなっていく。

このまま死ぬかもしれないという思いが一瞬頭をよぎった。

と、同時に青子との電話での会話が思い出される。

 

「か・・いと。」

 

あぁ、彼をおいてはいけない。

 

 

 

 

 

「新一?」

「あら。工藤さんのこと考えてたの?」

 

青子の家でのパーティ中、快斗は新一の声が聞こえた気がして外へと視線を向けた。

そんな快斗に気づいたのは紅子だけど、他の面々はゲームに夢中だ。

テーブルには食べ散らかしたケーキやら料理やらが並んでいる。

紅子はお茶を紙コップに注ぎながらフッと小さく微笑んだ。

 

「少しは何か分かったの?一生懸命だったみたいだけど。」

「手がかりは何も。不穏な空気も最近は形を潜めてるしな。それより・・。」

 

快斗は紅子の横をすり抜けると窓を開けて庭へと出る。

幼いころから遊んでいた馴染みの庭から快斗は工藤家のある方向を見つめた。

ひんやりと少し冷たくなった風が快斗の頬を撫でる。

 

「何かあったら新一が呼ぶはずなのに。フォルス、居るんだろう?」

 

快斗は誰もがこちらを見ていないことを確認し、小さな声で式神を呼んだ。

音もなく庭の木に黒い鳥が羽を下ろす。

 

『どうかしましたか?』

 

「先に工藤邸に行ってくれないか。嫌な予感がする。俺もすぐに向かうけど、

 おまえのほうが早く・・・。」

 

『それはできません。』

 

 

意外な言葉に快斗はフォルスをにらんだ。

 

 

「おまえ、冗談を言ってる場合じゃ。」

 

『私は主の式神。主を守るもの。それは新一様の願いでもあります。』

 

フォルスはスッと快斗の頭上を旋回し、塀の上へと移動する。

相変わらず羽音は一切聞こえず、目を凝らさねば黒い姿は闇に溶けてしまう。

 

「新一の?」

 

『そうです。式神の世界からこちらに戻ってくる前、彼は私たちに言霊で命じました。』

 

 

どちらかは、必ず、何があろうと快斗の傍に居るようにと。

 

『快斗は必ず俺を命がけで守ろうとするから。あいつの命はおまえらが守ってくれ。

 快斗が生きてたら、俺は死なないからさ。・・・と新一様はおっしゃっていました。

 彼の言霊の力を主も十分承知のはずですよね。けれど、私としても新一様を

お守りしたい。ということで、快斗。憑依させていただきます。』

 

「は!?」

 

体に強い衝撃を感じ快斗は目の前が真っ白になる。

その白い靄の中に、懐かしい風景が広がった。

 

深い緑に覆われた庭。

雨でも上がったばかりなのだろうか。

小鳥が楽しそうに水たまりの傍で遊んでいた。

 

 

これはカイの記憶・・いや、フォルスの記憶だろう。

幼いシンの傍でカイが眠っていた。

降り立ったフォルスにシンは人差し指を口に当てる。

寝ているカイを起こさないように。

 

『アヌビス、フォルス。お願いがあるんだ。カイを守ってくれ。全力で。

 そうすれば、俺は死なないから。』

 

あぁ、シンも同じことを言ったんだ。

カイを守ろうと。

 

 

 

 

 

再び白い靄が目の前に広がり、それが晴れた時には夜空を飛んでいた。

 

『快斗、気が付きましたか?』

 

その聞き親しんだ声は頭の中から聞こえてくる。

これが憑依か。と快斗は思った。

 

右に視線を向ければ、漆黒の羽が自分の背中から生えている。

アヌビスの羽よりも大きく、まるで自分が悪魔のようだとさえ思えた。

 

「どうせなら、白い羽のほうがよかったのにな。」

 

『天使のつもりですか?まったく、とにかく急ぎますよ。』

 

「あぁ。」

 

自分の意思とフォルスの意思が重なることを感じながら

黒い羽は夜空の空間を切り裂いて進んでいく。

 

「フォルス、昔さ・・・。」

 

『?』

 

「いや、急ごう。」

 

記憶が見えたことは言わないでおこう。

きっと彼の大事な思い出なのだから。