兄の奉公先に行かないならば歩くと言い始めたため、快斗は店に戻るのを諦め 降りて歩きだそうとした新一をひょいっと抱えると辻駕籠へと乗せた。 そんな当の本人といえば、着物が乾くからと駕籠の隣を軽快に走る。 ゆらゆらと揺れる簾の間からみえる木々は、すっかり秋の気配を帯びていて。 その葉がすべて散る前に兄と一緒に眺めるのだと、新一は人知れず決意した。 〜雪おこし・後編〜 「うおっ。危ないじゃねぇか!」 駕籠持ちが声をあげたのと同時だった。 駕籠が大きくグラリと揺れ、その衝撃によって新一は軽く腕を打ち付ける。 けんか腰の駕籠持ちの声に、女のか細い謝罪の声が重なった。 簾をあげて覗き見れば、角から飛び出したのであろう花売りの女が 散らばったものを拾うことなくペコペコと頭を下げている。 「若旦那。お怪我は?」 あまりにも言いすぎてではないかと新一が駕籠屋に声をかけようと口を開こうとしたが、 その声は、隣を走っていた快斗の言葉によって阻まれてしまって。 こんなときでも自分の心配とは・・・。 近隣でも女性に優しい色男と通っている彼が聞いてあきれる、と新一は非難がましい視線を向けたが、 快斗はその視線をきれいな笑みひとつで流すと『失礼』と一声かけて、新一の身体を確認し始めた。 こうとなっては何を言っても同じこと。 新一は長年の経験からそう判断すると、彼を視界のすみから外して女の方を見やる。 女は何度も頭を下げながら、再び商品の花を拾っていた。 「すみませんが・・・その花を売っていただけませんか。」 ボロボロになった売り物にならないであろう花を指で示す新一に 花売りの女や駕籠持ち達は驚いたような表情となる。 唖然とした彼女に新一は再度、花を売って欲しいと声をかけた。 「あ、でも、こんな花じゃ・・・。」 「こちらも急いでいて商品をダメにしてしまいましたし。快斗。彼女から花を受け取ってくれないか?」 「ええ。もちろん。」 銭を出そうとする新一の手を抑え、快斗は代わりに懐から金を出す。 そしてしゃがみこんでいた女の手を無理やり広げさせると、小判をひとつのせた。 「こ、こんな大金。お釣りなどございません!」 「釣りは要らないと主人は仰せです。それに着物を汚した謝罪の意もございます。」 「そんな・・・。」 女はただただ驚きを隠せないように快斗と新一の顔を交互に見た。 駕籠持ちの男たちはそんな光景を白けたように眺めている。 大方、これだから金持ちはとでも愚痴っているのだろう。 新一は少し額が大きすぎだろ、と快斗の金銭感覚のなさに呆れつつも 別に金に執着がないのは彼も同じで、駕籠もちに先に進むように促した。 兄の奉公先は思ったよりも多くの人であふれていた。 かわら版を書くためであろうか、中には筆と紙を持っている男もちらほら見える。 しかしほとんどは暇を持て余した人々が野次馬気分で来ているようであった。 「平次は来てないみたいだな。」 「大方、奉公先の場所も聞かずに飛び出したんでしょう。」 あきれる快斗に軽く苦笑を浮かべると新一は人波をかき分け、どうにか店の入り口まで入り込む。 途中、新一に押されてむっとした男が彼を押し返そうとしたが、 それを快斗が許すはずもなく鳩尾に一発、拳骨をのめり込ませてその男を地面にのした。 だが、そのような所業をしても人波が多いためか新一も含め (気づいていたら快斗を咎めていただろうが)誰も気づくものはいない。 おそらく、快斗もまた、一寸後にはそのことさえ忘れてしまうだろう。 「若旦那。きつくはありませんか?」 「ああ。俺にぶつかったからって、相手に手を出すなよ。」 「もちろん。若旦那の気分を害することなど致しません。」 そう言って、ニコリとほほ笑む手代が まさかもうすでに、一人の意識を飛ばさせているなど、新一は予想だにしなかった。 しばらく待っていると、 ごつい身体をした男たちに引きずられるように細身の男が中から出てきた。 がやがやと騒ぐ人々を見て、細身の男は顔をさらに青くする。 もう反論する力も残っていないようにみえて、新一は思わず声をあげた。 「お待ちください。兄は人を殺すような者ではございません!」 屈強な男たちの道をふさいで、新一は額を地面に押しつけるように土下座をする。 いくら江戸町下では名の通った商人と言えど、奉行所に下手に手を出すことなどできないのだ。 大ごとになれば、お家取り壊しさえありうる。 それでも、新一はたった一人の兄弟を見捨てることなどできなかった。 「おい。この無礼者をどかせ。」 「この男が下手人ということは明白なのだ。」 後ろから来た町奉行所の男たちが強い言葉で言い放つ。 ゆらりと揺れる黒い着物。 皺ひとつないそれをみれば、彼らが捜査などしていないことは日を見るより明らかだ。 おそらく一番身分の低い彼を体よく犯人に仕立て上げたのだろう。 新一は頭を地面につけたまま、その悔しさにギリっと奥歯をかみしめる。 「恐れながら、兄が下手人という証はありますでしょうか?」 「われらの判断が誤りだと申すのか?」 一人の男がしゃがみこみ、新一の顎をつかむ。 その時、我慢の限界だとばかり快斗の足が動こうとしたが、新一はそれを視線で止めた。 「いえ。ですが、彼はようやく見つけた生き別れの兄。その兄がなぜ下手人となったのか、 知りたいと思うのはだれしも同じことではございませんでしょうか。」 生き別れの兄 その言葉に人々がざわざわと騒ぎ始める。 人情芝居が好きな町人たちのこと、新一に味方するのは必須だ。 そして彼の読み通り、 急に「教えてやれ。」「かわいそうじゃねぇか。」と、周囲の人々は野次を飛ばし始めた。 「騒がしい!!黙れ、黙れ。 そんなに知りたいのなら教えてやろう。この男から凶器がでてきたのだ。」 そう言って指し示されたのは、千枚通し。 細いキリのようなもので、用紙に穴をあけるときに使うものだ。 事務的なこともしていたのなら、渉が持っているのは当然のことで。 新一は訝しげに眉をひそめた。 「納得いかぬという顔をしているな。 男が殺された離れにいたのはこの男一人。さらに外部の者が勝手に入ることはできぬ。 加えて男の首の後ろに細いもので刺されたあとが見つかった。どうだ、わかったか。」 「ですが、千枚通しで致命傷を与えることができますでしょうか?」 「ええい、小賢しい。あまり事を荒立てると・・・。」 「待ちなさい。」 スッと上がった男の手に快斗が飛び出そうとした時だった。 重厚な声があたりに響く。 邪魔するなとその声の主をにらみつけようとした男だったが 日ごろ、会うことも叶わぬ相手と気付き、ヒッと息を詰まらせた。 「お、お奉行様。」 「彼の言も一理ある。それに彼には以前から私の部下が世話になっていてね。」 「若旦那。良かった、間に合ったみたいだな。」 お奉行様と呼ばれた男の後ろからひょっこりと顔を出したのは いい具合に腹の出た顔なじみの目暮の親分で。 いっぱしの岡っ引きとお奉行様という奇妙な組み合わせに 新一は驚いたように彼らの顔を見つめるのだった。 「お奉行様とは昔からの顔なじみなんだよ。」 「よせ、十三。幼馴染からの“様”付けは気色悪い。」 とりあえず目立つからと、渉の奉公先の店に入り、目暮は彼との関係を簡単に説明した。 どうやらここに来たのも、蘭から頼まれたためとかで。 君なら無茶をするだろうと急いできたというわけだとか。 「まぁ、無茶をするといえば、どちらかというと手代さんのほうかもしれんがね。」 「あと一歩遅ければ殴りかかっていたようにもみえたが。 いやはや、怖いもの知らずもここまでくればなんとも言えんな。」 そう言って笑いながらも、目が笑っていないことに新一は身を引き締める。 彼が完全に見方という訳ではないことは明白で、 とにかくどうにかできた猶予なのだから、ここで兄の潔白を示す必要があった。 「お奉行様。良ければ現場を見せてはもらえませんでしょうか。」 「・・・ああ。君の名推理ぶりは聞き及んでいる。私としても冤罪は避けたい。」 「それでは・・・。」 「君が納得するまでみるといい。」 許しが出たことに新一は深々と頭を下げると、足早に現場へと向かう。 そこでどうにか真犯人を見つけ出すのだと。 案内された離れは、この館の子息のものというには納得できるほどの豪華な造りになっていた。 庭の木々は綺麗に剪定され、いたるところに綺麗でみずみずしい花が活けられている。 殺されたという部屋もまた、豪勢な調度品で埋め尽くされており、 それを見た快斗は、『品というものが欠けていますね。』と毒づいていた。 兄が離れに来たのは、ここの子息に確認を取りたいことがあったとかで。 用は第一発見者なのだとか。 先ほど、大丈夫かと声をかけた時に、つくづく運がないなと彼は自嘲めいた笑みを浮かべていた。 「これはまた、素人とは思えない殺し方ですね。」 新一とともに現場に来た快斗は遺体を検分しながら言葉をもらす。 外傷は首に小さな穴がひとつ。 おそらくここから心臓まで達するほどの長い何かで突き刺したのだろう。 「この傷らなら、千枚通しでは不可能だな。」 「はい。しかし馬鹿なあいつらにはそれだけでは納得しないでしょう。」 「ああ。殺しに使われた道具を見つけなきゃ・・・・ん?」 「どうかしましたか?若旦那。」 部屋を見渡して止まった視線。 どうにも違和感を覚える床の間に、新一はそっと近づく。 「快斗。ここまでくる廊下に活けてあった花は確か。」 「最近、生けかえらたようにきれいでしたよ。」 「なら、なんで・・・。」 新一が感じた違和感。 それは、この離れの主である者の部屋の花だけが枯れていたこと。 まるでここだけ生け忘れたように。 「快斗。さっき買った花は?」 「それなら表に。」 「持ってきてくれ。」 慌てて角から飛び出した花売りの女。 もし、男を殺した凶器が花ならば・・・。 「若旦那。これがどうかしたのですか?」 「なぁ、快斗。花の枝の先を上手く研げば・・・。」 「なるほど。この太さがあれば折れることもない。 では、私は女を連れてまいりましょう。 着物のたもとに血の一滴ほどついているかもしれませんからね。」 「頼む。」 新一の言葉に快斗は不敵な笑みを浮かべて部屋から消える。 妖の足ならば、すぐにあの女も見つけられるだろう。 これでどうにか兄は助かる。 「本当に良かった。」 新一はホッと息をついた、その瞬間だった。 フッと全身の力が抜けおちる。 兄に大丈夫だともう一度声をかけたいのに・・・。 そう思いながらも重力に逆らう力もなく 新一は疲れたようにその場に倒れ込んだのだった。 次に目を覚ました時、見えたのは大きな背中。 暖かなそれに、新一は昔のくせでほほをすり寄せる。 「おきたんか?若旦那。」 「気分はいかがですか?」 やはり背中は平次のものだったのか。 新一は大丈夫と頷いて、未だ夢見心地で街並みを眺めた。 「女が罪を認めましたよ。どうやらお金が原因とか。」 「ほんま、人はどうして金に執着するんやろ。」 「しおらしい態度をしていましたが、殺し屋のようでしたよ。」 「てことは、殺しの催促でもあそこの坊ちゃんはしてたやろなぁ。」 思い思いに話す手代たちの言葉を遠くに聞きながら、ぼんやりと町並みを眺める。 はて、自分はなぜここに居るのだろうか。 重い頭で必死に考えを巡らせると、蒼い顔の兄がふと頭の中をよぎった。 「・・・って、あ!?兄さん。渉兄さんは!!」 新一の慌てた声に手代たちはクスクスと笑みを漏らす。 まだ寝ぼけ眼であったことに、かわいらしさを感じているのだろう。 だが笑ってばかりいては、新一の機嫌を損ないかねないので 平次はツッと視線で後方を示した。 「兄さん・・・。」 「そ、その、若旦那。今回は本当にありがとうございました。」 恐縮そうにトボトボと歩く渉に新一はとんでもないと首を振る。 「若旦那なんてやめて下さい。渉兄さんは俺の兄上。 新一と呼んでください。というより、平次。とりあえずおろせ。」 何が悲しくて男の背中から兄に話しかけなくてはならないのか。と 要求する新一だが、平次は下ろす気配などなかった。 それどころか、よりいっそう腕に力を込める。 「へ。平次。」 「わいかて心配してほうぼう駆け回ったんや。こんくらい役得があったってええやろ。」 「役得って・・・。」 「まぁ、若旦那。とにかく今回の騒動を許してほしいなら、 今は平次の背中に収まっていてください。俺も不本意なんですよ。 だいたい道に迷って遅れて来たくせに。疲れたならすぐに交代するからな。」 言いながら快斗は平次を睨むが、平次も交代する気はさらさらないとばかりに舌を出す。 なぜ、彼らがこのようなことでもめるのか新一には疑問であったが こうとなれば梃子でも動かないことは分かっているため、しぶしぶその体制で話を進めた。 「兄さん。俺と一緒に来てくれてるってことは、家に戻ってくれるんですか?」 「い、いえ。迷惑をかけたお詫びを長崎屋の主人にしてから、この町を出ようかと。」 「町を出るって。宛があるんですか?」 新一の言葉に渉の視線が宙を彷徨う。 そんな彼に本当にウソをつけない人だと新一はほほをゆるめた。 「平次。父さんには・・・。」 「若旦那の考えることは分かっとる。旦那様には毛利の嬢ちゃんが話はつけておいてくれたみたやで。 まぁ、奥様が納得してなかったみたいやけど、若旦那が頼めばどうにかなるやろ。」 「しかし、俺は!!」 「兄さん。おれ、けっこう頑固者なんですよ。」 「本当にわれらも手をやいてます。あきらめたほうがよろしいかと。」 「いいところやで。長崎屋は。」 「けど・・・。」 さらに渉が言葉をつづけようとした時だった。 ゴロゴロ と、遠くの方で雷の音がしたのは。 「おや、雪おこしかもしれませんね。」 「今夜は初雪かもしれんな。そや、渉さん。今夜は親子で雪見酒するとええで。」 「いいな、それ。」 「言っときますけど、若旦那は先に寝せますよ。」 渉の話など、もはや彼らはさらさら聴く気もないようで。 遠くで再び響く雷の音とともに彼らの会話を聞きながら、渉は久しぶりに小さくほほ笑んだのだった。 こうして、長崎屋にまた一人、住人が増えた。 彼が数カ月もたたないうちに、 手代や両親に負けないほどの若旦那贔屓になるのは、また別のお話。 |