「快斗。いつまで寝てるの!!」

 

朝のHRに続いて1時間目が終わった頃、教室中に響いた強烈な声に

新一は驚いたように後ろを振り返った。

 

―あかつき―

 

視界に飛び込んできたのは、手を腰に添えてご立腹した様子の少女。

髪は黒く、肩の辺りまで伸び、表情や仕草は幼なじみの蘭に似ている。

新一は身近な人間に似た雰囲気を彼女が持っているのに親近感を覚えたのか、

普段なら気にせず再び読書へと戻るはずなのに、興味深げにその様子を眺めた。

 

「え。ああ。学校終わった?」

 

青子にいきなり教科書で頭を叩かれて、快斗は顔を気だるそうに上げると辺りを見渡す。

今日はひどく体調が良くて、この暖かさ。まさに寝るにはピッタリの環境だったのだ。

 

「まったく。ところで、体調はもう大丈夫なのよね?おばさん、心配してたわよ。」

「母さんが?俺も昨日のことは良く覚えていないけど、まぁ、最高に快調だ。」

 

“心配かけて悪かった。”そう笑う快斗に

青子は“心配してなんかいないわよ”と大音量で返事を返す。

新一はそんな素直じゃない彼女の姿に思わずクスクスと笑ってしまった。

 

「ゴメン、工藤さん。うるさかった?」

 

青子は笑っている新一に気が付いたのか、ばつが悪そうに頭を下げる。

 

「いや、こっちこそ笑ってゴメン。ただ、楽しそうだなって思ったんだ。」

「ほんと?良かった。そうだ、自己紹介してなかったね。

 私は中森青子。よろしくね、工藤さん。」

「よろしく、中森さん。」

 

青子は頬に手を添えながら、恥ずかしそうに微笑んだ。

そんなホッとしている青子とは裏腹に、快斗は青子と会話する人物を凝視する。

どこかで会ったことがある気がした。

 

綺麗な髪・・・そして何よりもあの蒼い瞳。

 

「なぁ、青子。・・・彼女・・誰?」

「快斗っ。失礼でしょ。もう、朝から寝てたの!?ごめんね、工藤さん。」

「いや、いいよ。」

 

そう言えば、ずっと寝てたな。

新一は朝、この教室に入ったときのことを思い出して今の快斗の言葉に納得する。

おそらく自己紹介なども全く彼の耳には届いていなかったのだろう。

まぁ、だからといって、別段、気にすることでもないが。

 

「彼女は工藤新さん。転入生だよ。」

「そっか。俺は黒羽快斗。失礼なこといってごめんね。」

「別に気にしちゃいないよ。よろしく。黒羽君。」

 

新一はそう言って右手を差し出す。

快斗は差し出されたその手に自分の左手を重ねた。

 

「なぁ、工藤って・・・。」

 

どこかで会ったことないか?

 

快斗がそう口を開きかけたとき、

ガラガラっと扉が開いて、白衣を着た教師が入ってきた。

教師はチラリと何かを言いたげに、教室の黒板の真上にある時計に視線を向ける。

その動作に席を離れていた生徒は一斉に自分の席へと戻った。

どうやらチャイムはもうとっくになっていたらしい。

教師は教科書を、バンッと教卓に叩きつけるとギロリと教室中を見渡した。

 

「まったく、相変わらず落ち着きのないクラスだな。」

 

吐き捨てるような言葉に、クラスの半分がうつむき、

クラスの半分がヒソヒソと文句を言い合う。

教師はその様子に気を止めることなく、黒板にチョークを走らせはじめた。

 

あれって、蘭達のクラスの担任じゃねーか。

新一はとりあえず大学ノートを開くと、興味深そうに彼の背中を眺める。

朝の時は随分と落ち着いた先生といった感じの雰囲気だったので

すぐには気が付かなかったが。

 

確か、安田・・・そんな名前だっただろうか。

 

 

「じゃあ、この問題を・・そうだな工藤。おまえが解け。」

 

安田は振り返ってすぐに視線の合った新一を指名した。

新一はやれやれと思いながらも、返事を返して席を立つ。

なんとなくだが、この数分間でこの教師がどういう人間なのかが分かった気がした。

 

後ろでは快斗は睡眠学習に没頭し、哀や紅子は読書。

だが目の前の教師は注意をすることなど頭にはないようだ。

おそらく、弱い物にだけ強いのであろう。

その対象が今回はたまたま自分だっただけ。

 

新一は目の前に書かれた化学式に一通り目を通した。

村にいた頃は、蘭の母親や、両親などからそれぞれ得意分野を一通り教わっている。

そしてその化学式も一度、目にしたことがあるものだった。

 

「難しいか?まぁ、地方で勉強していたんじゃ無理かも知れないな。

 この俺でさえ5分はかかったし・・・。」

 

見下した物の言い方に新一は気づかれないようにため息を付いて

チョークを使って黒板に答えを示す。

本来ならば、答えに行き着くまで数個の公式と、計算とを繰り返す問題なのだが・・。

 

「せ、正解だ。」

 

新一は何でもないと言った雰囲気でチョークを置くと席へと戻った。

後に残された安田は苦虫を食いつぶしたような表情で、新一を見送る。

前列の生徒がピースサインを安田に気が疲れないように新一に向けた。

 

「これで、読書が許可されたわね。」

「まぁな。」

 

チラリと志保が視線を向けて良かったわね、と微笑む。

面目を潰された安田は先程よりも荒い文字を黒板に書き続けていた。

 

 

 

 

 

そうして授業も半分を過ぎた頃、新一は没頭していた文庫本から頭を上げた。

僅かに感じ取った気配。

それが何なのかは分からなかったが、見知った“イキモノ”の気配だった。

おそらく蘭や平次は気づいていないだろう。本当に幽かな気配だから。

 

「先生。」

「何だ?」

「ちょっと気分が優れないので、教室を出ても良いですか。」

 

お腹の辺りを抑えて、新一は母親からたたき込まれた演技力をフルに活用する。

上目遣いに見つめられた安田は手に持っていたチョークを落とし、

慌ててそれを拾うと何事もなかったように平然とした態度を装った。

おそらく、新一の表情に動揺したことを悟られたくなかったのだろう。

 

安田の許可をもらった新一は、連いてくると言い張る平次をどうにかなだめると

廊下の突き当たりの階段へと向かった。

授業中であるからもちろん人の姿はない。

 

新一は階段の前に立って、そっと目を閉じた。

「上か・・・。」

僅かだがはっきりと上から気配を感じる。

 

階段をのぼっていくと、途中に立入禁止という立て札とチェーンが視界に飛びこんできた。

5階建ての校舎だと聞いていたから、この上はおそらく屋上だろう。

新一はその鎖を難なく乗り越えて、閉ざされた扉の前に立つ。

扉は風もないのに、独りでに開いた。

 

先程まで快晴だったそれには暗雲が立ちこめ、今にも雨が降ってきそうな空模様だ。

新一はそっと屋上に出てみる。

先程の気配はほとんどなくなっていた。

 

「いるんだろ?」

 

新一は後ろ手で扉を閉めて、声を発する。

新一の声はとても小さく、風にかき消されるほどだったけれど、

目当ての人物にはきちんと聞こえていた。

 

 

しばらくして、屋上のタンクの物陰から、白い小さな生き物がひょっこり顔を出す。

そしてそのタンクの上には大きめのカラス。

 

「白夜、それにヤタガラスか。」

『さすがは、新一様。我らの気配に感ずかれるとわ。』

 

ヤタガラスはその大きな羽を動かすと、新一の目の前に大きな弧を描いて着地する。

フワリと柔らかな風がふき、屋上にあった枯れ葉を舞いあげた。

 

「で、おまえらの主人をどうして呼ばなかったんだ?」

『ご主人やラン様には秘密事項でしたので。

 今日は新一様に創始様からの伝言を承ったんです。』

 

白夜がちょこちょこと走り寄って、言いづらそうに敬語でそう告げる。

カズハに注意されたことをきちんと守ろうとしているのだろう。

その姿はなんとも可愛いらしく、新一はクスリと苦笑を漏らした。

 

「白夜、普通に話せ。これは、命令だ。」

『えっ。あっ、うん。それでね、どうにもこの学校には魔女が居るみたいなんだ。』

「魔女?」

 

聞き慣れない単語に新一は顎の辺りに手を添えて、う〜んと考える。

 

 

魔女・・・魔を扱う女・・・?

 

 

『どうも、魔女には特殊な力があるらしく、新一様の力にも感づきやすいそうです。

 ですからあまり接近されないようにと。』

「あのなぁ、魔女を知らない俺にどうやって魔女を判断しろって言うんだよ。」

 

『えっと・・・雰囲気?』

 

白夜は困ったように首を傾げながら、ヘヘッと笑う。

少しだけ頭痛を感じた。

 

『相変わらず子どもですね、百夜は。』

『ヤタガラスさんに言われたくないなぁ、年もそう変わらないじゃん。』

『13歳年上ですよ。』

『オレ達の世界での13年なんて、人間の1ヶ月にも満たないって聞いたよ。』

『精神年齢の問題です。』

 

端から見れば、白い猫と烏の喧嘩。

カーカー、ミャーミャと一般人には聞こえるのだろう。

 

「なぁ、とにかく雰囲気でわかるんだな。」

『えっ、あっ、はい。そうです。

 それと、新一様、この青二才をあんまり甘やかさないでくださいね。』

『ヤタガラスさんの意地悪っ。』

『誰が意地悪ですか!?』

 

良いコンビだよなぁ。

新一は両腕を組んで暫くその光景を見守った。

どうせ教室に戻っても、また退屈な授業の再開だろうし。

すこしぐらい遅れて戻っても、気にしないだろう。

まぁ、心配性の平次にはあとで小言を言われるかも知れないが。

 

新一がそんな事を考えていたとき、コツコツと階段をのぼる足音が耳に飛び込んできた。

こんな近くに来るまで気配を感じなかった・・・?

 

新一はヤタガラスと白夜に消えるように告げる。

ひょっとしたら“魔女”のご登場かも知れないし。

ヤタガラスと白夜はしばらく“新一様の護衛を”と言い張ったが、

命令だとぴしゃりと告げると渋々消え去った。

 

ギギーッとさび付いた扉が鈍った音を立てて開く。

紅い髪の毛・・・雰囲気で魔女だと分かった。