「おいっ、工藤。」

 

紅子が教室に戻るとその場は慌ただしかった。

細い足に残った手形、そして気を失った新一。

平次が必死に声をかけ、隣のクラスの女子が2人、心配げに見ていた。

 

 

―あかつき―

 

 

「紅子ちゃん、顔色、悪いよ。」

教室に戻ってきた紅子に気が付いた青子は心配げな表情で見つめた。

紅子はそれに“何でもないわ”と微笑んで、新一のそばに近づく。

 

平次は隣にしゃがんだ、紅子にいぶかしげな視線を向けた。

 

「あんた、工藤とおったんやろ?」

 

平次は紅子の周りに、新一と同じ幽霊の気配が残っていたことに気が付いたのだろう。

紅子はコクリと頷いた。そして、耳元で“ここじゃまずいんじゃない?”と囁く。

平次はそれに軽くため息を付いた。確かに彼女の言うとおりだ。

ここで堂々と話が出きるものじゃない。

 

それにしても・・と平次は思う。

どうしてこの目の前の女はそのような言い回しをするのだろうか。

まるでこちらの事情を知っているようなその口調。

そして、新一と2人きりでいたこと・・・。

 

平次はそこまで考えて、紅子が教室を出ていった状況を思い起こした。

確か、新一が教室を後にして数十分後くらいだったと思う。

彼女は新一と違って何も言わずに席を立った。

それを安田も黙って見過ごす。おそらく、よくあることなのだろう。

クラスメイトも特に気にした様子はなかった。

 

今思えば、工藤のあとを追ったんやろか?

 

何故?その理由は分からない。

まぁ、その理由もあとで聞き出せばいいだろう。

そう思って、平次はとりあえず蘭の治療を見守っていた。

 

 

「それにしても、黒羽君。ありがとう。」

「いや、偶然だよ。」

 

蘭はキズだらけの新一の手を消毒しながら隣にいる快斗に軽く頭を下げる。

快斗は気にしてないと言った風に軽く片手をふった。

 

どこから持ってきたのか消毒と脱脂綿それに包帯をなれた手つきで使いこなし、

あっと言う間に応急手当は終わる。

 

「凄いね。青子には絶対無理!!」

「あはは、昔から周りはけが人が多くてね。ほら、山育ちだから。なれてるの。」

 

その手際の良さに驚きの声を挙げる青子に蘭は苦笑しながら包帯を鞄にしまった。

 

「そっかぁ、私も快斗の手当とか、けっこうしたし。」

「おまえは不器用だったし、上達はなかったけどな。」

「うっ、うるさいっ。快斗。」

 

シシシッと笑う快斗に青子は非難の声を挙げる。

もはやその場にいる誰もが今が授業中であると言うことを忘れているようだった。

安田はそんな状況に青筋を増やすが、どうも彼らに注意をすることはできない。

というよりも、注意した時点で3倍近くの反論が返ってくるのが容易に予想できるのだ。

 

 

―――さて、どうしようか。

こんな状況を校長や教頭に見つかったらただでは済まないだろうし

 

校長は女性で常に微笑んでいて優しいイメージだが、一皮はげれば恐ろしい鬼婆。

一度、若い頃に寝坊したときには1時間も説教を喰らった。

また、教頭は教頭でその少ない髪の毛をしきりに掻きむしりながらヒステリックに怒る。

そんなことをするからハゲるのだと、

今まで注意できた人間がいないことが彼にとっての不幸なのかも知れない。

 

 

「先生。」

 

安田がそんなことを考えていると、肩をトントンと叩かれた。

まさか、鬼婆校長かヒステリック教頭か!?

 

 

安田が恐る恐る振り返った瞬間、視界に移り込んだのは

 

「なんだ、遠山か。」

「なんだって失礼やわ。まぁ、ええ。工藤さんを保健室に連れて行って来ます。」

「それは構わないが、どうして工藤は上から落ちてきたんだ?」

 

もはや止めることは不可能だ。

そう判断した安田はとりあえず、最大の疑問点を解決しようと尋ねた。

工藤が落ちてきた理由。

それはクラスメイト一貫して気になっていたらしく、全員が和葉に視線を集める。

和葉は困ったように蘭を見て代弁を目で訴えた。

 

「安田先生、工藤さんは体が昔から弱いんです。

 前の学校では屋上でよく空気を吸っていたんで、

 たぶん空気を吸おうと思って屋上に出たときにバランスを崩したんだと思います。」

 

「屋上?だがあそこは立入禁止のはずだが?」

 

「カギはかかっていないんでしょう?それに、フェンスは壊れていたのならあり得ます。

 彼女、昔から屋上が好きなので。とにかく・・・和葉ちゃん、服部君。

 しん・・じゃない。新のことお願いね。保健室で寝ていれば大丈夫だと思うから。」

 

OK。まかしとき。蘭ちゃんはどうするん?」

「私?私は、ちょっと黒羽君に御礼をしたいから。それに・・・」

 

 

蘭は時計を見つめる。

そして秒針が12にさしかかったとき、キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。

授業終了だ。これでおきなく行動できるというもの。

安田は投げやりに“授業終了”と告げて持ってきた授業道具をまとめると

教室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

「紅子ちゃん、次、移動教室だよ。」

 

和葉達が去って、教室は再びいつものような日常に戻る。

青子は日本史の教科書を片手に、先程の状態で立ったままの紅子を誘う。

 

「中森さん、わるいけどお友達と先に行って貰えるかしら。」

「え?」

「私、保健室に用があるの。ちょっと体調が優れないみたいで。」

 

紅子はそう言うと、足早に平次達の消えていった廊下へと向かった。

 

 

青子は“大丈夫かな?”と心配そうに紅子の背中を見つめる。

 

「青子っ、行こっ。」

「恵子。うん・・・。あっ、志保ちゃんは?」

「宮野さんなら、先に行っちゃったけど?」

 

恵子はそう言って視線を別棟の方に向ける。

今日は歴史のビデオを見るので別棟の視聴覚室を使うと係りの人が言っていた。

 

「・・そっか。」

「もう、何しょげてるのよ、青子。宮野さんはそういうタイプじゃん。」

「青子、もっと仲良くなりたいのに。」

 

志保と同じクラスになって3ヶ月が経つというのに、青子は志保との間に壁を感じていた。

幼なじみの快斗や1年の時に仲の良かった白馬、それに紅子は志保と仲良くやっているのに。

なぜか、自分だけが取り残された気分だ。

 

「そのうち仲良くなれるよ。それより、早く行かないと。黒羽君達もっ。」

 

恵子は心配そうに自分の腕時計を眺める。

日本史の教師は遅刻関係には凄く厳しくて有名なのだ。

 

「ああ、行くよ。白馬、お前も行くだろ。」

「もちろんですよ。」

 

そう言って教室を出ようとしたとき、快斗は誰かに腕を捕まれて前のめりになる。

もちろんそこで転んだりはしないが。

“誰だ?”そう思って振り返ると、先程、新一の手当をしていた女子だった。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

手を掴んだまま、彼女はニコリと微笑む。

最初見たときは青子に似ていると思ったけれど彼女の方がどちらかというと大人な雰囲気だ。

 

「あっ、あの。次は移動教室なんですけど。」

 

さて、どうやって断ろうか。

そう快斗が返事にこまねいていたとき、青子が慌てて会話に割り込んだ。

青子はじっと蘭の掴んだ快斗の腕を見つめている。

蘭はそれに気が付いてクスッと微笑んだ。

彼女は彼のことを好きなのだろう、自分が新一を慕っているように。

 

「大丈夫、すぐに戻ってくるから。新の事で話があるだけ。心配しないで。」

「あっ、うん。」

 

青子は少し頬を染めると、恵子に呼ばれてそちらのほうに走っていく。

蘭は隣でそれを見送っている快斗を見上げた。

昨日は気が付かなかったが、結構、彼は身長があるらしい。

頭が一つ分上にあった。それに思って以上に筋肉のつきもいい。

 

「気が付いてるの?彼女の気持ち。」

「初対面だし、内情を聞かれるのは困るな〜。」

「それもそっか。じゃあ、ちょっと顔貸してね。黒羽君。」

 

“とても大事なお話しがあるのよ。”

蘭はそう言ってウインクすると先頭だって歩き始める。

 

保健室に行くための廊下でもなく、別棟に続く渡り廊下でもなく

隣の空き教室に。

 

 

蘭は教室にはいると、窓辺に腰を預けて目下に見える運動場を見つめた。

そして窓をあけて、暫く使われていないかび臭い教室に新鮮な空気を通す。

快斗は教室のドアに頭の後ろで手を組んで、つまらなそうに天井を眺めていた。

 

「で、話って。」

「話と言うよりは、質問なんだけど・・・。

 そうそう、自己紹介がまだだったね。私は、毛利蘭。以後、よろしくね。」

 

 

蘭はニコリと微笑むと、再び運動場に視線を戻す。

その後、彼女に話す気があるのかどうか疑いたくなるほど、長い間沈黙が教室を包んだ。

 

 

ようやく話が切り出されたのはチャイムが鳴ってから数分経った後だった。

「直感的に分かったの?・・・新が落ちてくること。」

「え、ああ。なんか、呼ばれた気がして。

 今思えば紅子の叫び声だったのかもしれないけどな。」

「そう、羨ましいなぁ。」

「は?」

「ううん、こっちの話し。」

 

快斗が蘭を見ると凄く哀しそうな瞳で外を見ていた。

 

――――羨ましいとはどういうことなのだろうか?

 

快斗のそんないぶかしげな視線に気が付いたのだろうか、蘭は軽く首を振って

“なんでもないよ。”と付け足す。

 

「それじゃっ、戻ろっか。」

「話ってそれだけだったの?」

「ううん、他にもあったけど忘れたみたい。だけど、一つだけ忠告させて。」

「忠告?」

「ええ。忠告。」

 

貴方にだけ力があることは羨ましくて妬ましいけど・・・

どうか新一を守って欲しいから。その杞憂な力で。

 

「これからやってくる波に飲み込まれないで。」

 

まっすぐな視線が快斗を射抜く。

その言葉の意味もわけも快斗には理解できなかったけれど・・・。

 

「それって、紅子と同じ予言かなにか?」

「紅子?って新一と一緒にいた人?」

「そう。自称魔女。予言が大好きなんだよ。あいつ。」

 

快斗はそう言って笑うと、教室を後にした。

 

 

 

 

蘭はその後の授業に出る気にもなれず、暫く校庭の体育の授業を眺める。

 

「魔女・・・すこしやっかいね。」

 

ひょっとしたら気づかれているかも知れない。

蘭は本日何度目になるか分からないため息をついた。