保健室に行ったとき、養護の先生の姿はなかった。

どこかに出ているのだろうか?

平次はとりあえず新一を一番奥のベットに横たえる。

和葉は締め切ったままのカーテンを開けて室内に光を入れた。

 

―あかつき―

 

 

「足、やっぱ怨霊やろか?」

「十中八九、間違いないやろな。まぁ、すぐに消えるとは思う。

 問題はその幽霊さんをどうするかや。」

「退治するしかないやろ?今後、工藤君に手出しする可能性も大きいんやし。」

 

和葉はそう言うと、養護の先生のイスに座り、机に頭をのせて、新一を眺めた。

今は布団で隠れて見えないが、あのくっきりと残った手形は凄まじい怨念を感じさせる。

 

「和葉。」

「ん?」

「誰か来るで。」

 

授業中であるにもかかわらず、近づいてくる足音。

養護の先生だろうか?

和葉は立ち上がって、平次の傍に移動する。

平次もまた、2人に害が及ばないように前へ一歩出た。

 

足音が近づいてくる。

あと5歩、4歩、3歩・・・。

扉がゆっくりと開いて、長い髪の毛が隙間から見える。

 

怨霊!?

 

和葉がそう身構えた瞬間、平次から緊張の色が消えた。

 

「私のこと、忘れてたようね。服部君。」

「すまん。髪、見えた瞬間思い出したわ。」

「平次、彼女誰なん?」

 

入ってきた女性に和葉は小首を傾げる。

制服や学年章は全く同じだから、同級生だろうことは間違いないが。

 

「なんや、和葉。さっき、教室におったやんけ。

クラスメイトの・・誰や?」

 

「小泉紅子よ。それより、大丈夫なの?彼女。」

 

「工藤か?工藤なら大丈夫や。まぁ、貧血みたいなもんやし。」

 

「心配しなくても詳しくは追求しないわよ。自分で調べるって彼女とも約束したから。」

 

 

冷や汗をながしながらこめかみのあたりを掻く平次に紅子はクスッと苦笑を漏らす。

新一と対面したときは焦りなど見せる様子もなかったが、彼は別らしい。

ポーカーフェイスとは無縁の平次に、紅子はどこか新鮮さを感じた。

どうも自分の周りには表情を隠す人間が多い。

それは、自分自身にも当てはまることだけど・・・。

 

「とりあえず、私が手伝えることがあったら言って。」

 

「どうして、親切なん?」

 

和葉は平次の脇からそっと顔を出して、疑わしげな視線を向ける。

紅子はその言葉に“それもそうね、どうしてかしら”と肩をすぼめた。

「興味のある人間は、大事にしたいのよ。」

「そんなもんか?」

「そういうものよ。それじゃあ、私は授業に行くわね。服部君はどうするの?」

紅子は保健室を出かかって、思い出したように振り返る。

もし、行かないのならそれなりの理由は用意しておかなくてはならないのだし。

 

平次は紅子の言葉に、“授業中なんやなぁ、今”としみじみと呟いた。

村育ちで学校という環境に慣れていないせいか、時間の制約はどこか窮屈だ。

「適当に理由、つくってくれへん?」

「貸しにしておくわね。」

フフッと意味深に微笑んで紅子は保健室を後にした。

 

 

 

+++++++++

 

 

何で、何で死ななかったの?

遠くの方でか細い声が聞こえる。

新一は微睡む意識の中、その声を正確に聞き取ろうと耳に全神経を集中させた。

 

暗いくらい、闇の中。

もんぺ姿の少女が泣いている。

さげすむような視線を向けられ、虐められている少女。

防空頭巾の合間から見える髪は綺麗な茶色だった。

 

あれって・・屋上の。

 

 

 

 

新一の意識はそこで現実へと引き戻された。

 

 

 

 

最初に飛び込んできたのは、真っ白な天井。

学校の保健室だろうか。

新一はぼんやりとそんなことを考える。

周りを見渡せば、夕焼け色に染まったカーテンが風に揺れていた。

 

 

上体を起こして、新一は先程の夢のことを考えた。

あの少女はおそらくハーフだったのだろう。

戦時下の日本ではまさに敵国の象徴とも言えた。

終わりの見えない戦争に苛つきを増した国民は彼女に冷たく当たったに違いない。

そして彼女は誰にも悲しまれることなく、この地で没したのだ。

 

 

 

「新一。もう、大丈夫?」

 

ガラリと扉が開いて、蘭が入ってきた。

新一は彼女の問いかけに軽く頷く。

まだ少し、頭がボーっとしていた。

 

「なぁ、俺、なんで傷がないんだ?」

 

新一は少しずつ覚醒してきたのか、

ようやく指以外に傷を負っていないと言うことに気がく。

それと同時の頭をよぎるのは疑問。

あのまま地面に打ち付けられて死んだのだと思っていたのに。

 

「黒羽君が助けてくれたのよ。

 無意識だったけど、やっぱり彼は新一の護神みたいね。」

 

蘭はそう言うと、近くにあったパイプイスに座った。

そして、新一の手に巻いてある包帯を取り除き、消毒をし始める。

ふさがり切れていない傷に、蘭は少しだけ表情をゆがめた。

 

「蘭・・・護神は必要な者か?」

 

突然の予想もしない言葉に蘭ははじかれたように顔を上げた。

そして、新一の蒼い瞳を正面からジッと見つめる。

その瞳は微動だにせず、いつものように清明に輝いていた。

 

「新一、護神は新一にとって・・。」

「護神の説明はいらない。それは充分聞かされてきたからな。

 俺が聞きたいのは、護神をつけないで暮らせるかということだ。」

 

蘭の言葉を遮るようにそう告げると新一は保健室の机の傍にある窓を眺める。

夕焼け色のグラウンドがどこか寂しげな表情をしているように見えた。

 

生徒達は足早に帰路に就き、部活動のウォーミングアップが始まっている。

 

「今日の一件で確信したわ。新一に護神は必要よ。」

蘭は新一の横顔を暫く見つめると、再び傷口に視線を落として手当を再開すると、

強くはっきりした口調で告げた。

 

「そっか。」

 

「それより、そろそろ帰るわよ。夕食、私たちが当番だし。

 和葉ちゃんと服部君は今日は所用で少し遅くなるんだって。」

「それにしても結局、転校初日からサボりだな。」

「そうね、まぁ、徐々になれれば良いんじゃない?新一も、私たちも。」

 

 

この東都の時間に縛られた生活に。

 

蘭はそう言って微笑むと冷たい風の吹き込む窓をピシャリと閉めた。

 

丑刻の章終了

 

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