なにも変わらない。 そう思いながら快斗は前の席で志保と会話を弾ませる新一をチラリとみた。 ―あかつき― キスを数度交わしても、目の前の好意を寄せる相手は どうも挨拶程度にしか思っていないらしい。 つまり、昨日以来進展がなにもないのだ。 朝、学校で顔を合わせる瞬間は少しさすがの快斗も緊張したというのに。 相手はいつもと変わらぬ調子で“おはよう。黒羽”と軽い挨拶。 そして、その後は今のようにずっと志保と会話を弾ませている。 緊張していた自分自身をむなしく感じるほどに。 快斗は昨日のことを思いながら、深いため息をついた。 「恋煩い?」 隣から聞こえてきた声に快斗は思わず頬杖をついていた手からガクンと頭を机へと落とす。 そんな彼の様子に声の主はさらに嬉しそうにクスクスと笑った。 「天下の大泥棒も形無しね。そんな様子じゃ。」 「何の話だ。」 形勢を立て直して、快斗は少し不機嫌気味に彼女をにらみつける。 紅子はそんな表情に“八つ当たりはごめんよ”とばかり困ったように肩をすくめた。 「明日はいよいよ仕事だというのに、そんな調子で大丈夫なのかしら。」 「だから、何の話をしてるんだ。」 「相変わらず頑固ね。」 「身に覚えのないことだからな。真実を言っているまでだ。」 いい加減にしてくれ。 快斗はそう告げるとふて寝を決め込んだようで、どっかりといすに座ると目をつぶる。 紅子はそれに軽くため息をついてあきらめたように席へと戻った。 「二人って仲がいいんだな。」 「二人?それって、黒羽くんと紅子のことかしら?」 新一は後ろの会話が聞き取れなかったものの、その親密な雰囲気にポツリと言葉を漏らす。 それに、志保は興味深そうに目を細めた。 「工藤さん。あなたひょっとして、黒羽くんのこと・・・。」 「ん?」 「いえ。何でもないわ。」 志保は軽く首を振ると、いぶかしげに眉を寄せる新一へ文庫本を手渡す。 「気にしないで。それよりこれ。新人作家だけど楽しめると思って。」 「マジで?宮野の薦める本はあたりばっかりなんだよな。」 「そういってもらえると嬉しいわ。」 子供のように顔をほころばせる新一に志保も自然と表情が和らぐ。 今まで他人にあまり執着しなかった自分を思い、志保は軽く苦笑を漏らした。 自分を育ててくれた阿笠。 最初の友人になってくれた歩美。 親戚つながりの紅子。 そして人間的に興味の尽きない快斗。 志保の気を許した相手は片手で足りるほど。 その中に、新一は不思議と抵抗なくすっぽりと収まった。 不思議な魅力だと志保は思う。 彼がいつまでも幸せであってほしいと自分の幸せ以上に望むのだから。 それは、恋というよりむしろ、家族愛に近い。 「また、何かあったら持ってくるわ。」 「ほんとか?」 「ええ。」 この笑顔をいつまでも見ていたいわ。 志保はそう内心で思いながら後ろでふて寝している快斗を一瞥するのだった。 工藤新一は不機嫌な表情で屋上へとたっていた。 ここはKIDの逃走ルート。新一はちらりと時計を見つめる。 「あと、5分程度か。」 美術館に設置した盗聴器から聞こえる音に新一は眉を細めると 今からやってくるであろう怪盗にどう文句を付けようか考える。 必ず予告状を自分にも送れ。 そう釘を差しておいたのに。 「泥棒はうそつきの始まりだ。」 「いえ、それをいうなら、うそつきは泥棒の始まりでは?名探偵。」 返ってくるはずのない返事に、新一はゆっくりと振り返った。 月をバックにしてたたずむのは、白き罪人。 貯水タンクの上というのは、どこか間抜けな組み合わせであるが やはりその姿は万人を魅了するほど神聖な出で立ちだ。 「ずいぶんとご機嫌がよろしくないのですね。」 スッと音もなく新一の前に降り立った怪盗は困ったように声を濁す。 それに当たり前だとばかり、新一は目の前の怪盗をギロリとにらみつけた。 「予告状を送る約束は?」 「・・・・住所もわからないのにですか?」 「調べろよ。天下の怪盗だろ?」 「そんな無茶な。これでも仕事のために下準備に追われていましたし。」 加えて、いろいろと厄介ごともあった。 その言葉を飲み込んで、KIDはいつも通り“アリス”を月へとかざした。 「KID。」 凛とした声が闇夜に響く。 なんて心地のいい声なんだろうとKIDは思った。 何度もその名を呼ばれてきた。 憎しみの入り交じった声で、雄叫びのような声で。 だけど、彼は落ち着いた声色で、一字一字確認するように呼ぶ。 まるで、そこに存在しているのを確かめるように。 「何でしょう。名探偵。」 「宝石、用がないなら渡せ。」 ゆっくりと差し出される細い右手。 KIDはその白さに目を細めた。 そして、月明かりの中ぼんやりと浮かび上がるその手を掴みたい衝動に駆られる。 掴んで引き寄せて・・・・ 「KID?聞いているか?」 「すみませんが、これはお返しできません。 とあるお嬢さんにお返ししなくてはならないので。」 KIDは新一の声にあわてて理性を呼び覚まし、 いつものようにポーカーフェイスを取り繕う。 そして、軽く肩をすぼめてみせた。 「名探偵はどうしてこれを?」 「詳しくは言えない。だけど、それを持つべき人に返さなくちゃなんねーんだよ。」 「ほう。さすがは名探偵。宝石の真の持ち主までお調べになったのですね。」 KIDの言葉に新一は黙ってうなずく。 本当は調べたわけではないのだが、その経緯を話すとややこしくなるので 新一はKIDの考えに合わせることに決めた。 「だから・・・。」 「奇遇なことに、私もこの宝石をその方にお返しするのですよ。 ですからご安心ください。」 「KIDも知っていたのか?」 驚いたように見開かれる瞳。 KIDは軽くうなずいて見せた。 「ええ。」 「そうか。なら、おまえに任せる。」 遠くから聞こえてくる階段を登る音。 “服部だ”と新一は思った。 人が近づいてきていることは目の前のKIDにもわかっているのだろう。 彼は少し名残惜しげに新一を見つめると空へと飛びたつ準備を始める。 「予告状は・・・あの鳩に渡してくれないか?」 「あの鳩とは・・名探偵がお話ししていた彼ですか?」 KIDが振り返って尋ねる。 「ああ。住所を調べられたくもないしな。」 「それはそうでしょうね。わかりました。」 「必ず。だぞ。」 「ええ。名探偵も答え合わせに是非きてくださいね。」 そう告げるとKIDは月の照らす夜空へと飛び出した。 後ろ手に扉の開く音を聞きながら。 「くっそ。工藤。KIDは!!」 肩で息をしながら平次はその場に座り込むと、 一点を見つめる新一に声をかけた。 「もう逃げた。」 「で?なんでそんなに満足げな顔しとんねん。じぶん。」 「さぁ?何でだろうな。」 あきれた表情の平次に新一も軽く頭をふる。 自分自身わからない。 “アリス”をどうしてすんなりと彼に預けられたのか。 約束を承諾してもらえたことがこんなにも嬉しいのか。 「最近、自分の感情がわからないんだよな。」 「ほう、工藤にしては珍しいやないか。」 平次はようやく息の切れも収まったのか、パンパンと埃を払って立ち上がる。 そして新一の隣に立ち、まばゆい明かりの街を見下ろした。 「ほな、帰るか。体、冷やしたらまた怒られるで。」 「そうだな。」 街の明るさで月がかすんで見える。 平次は空を見上げてそう思った。 |