KIDと一戦を交えた帰り道、新一は平次と別れて直接、阿笠邸へと足を向けた。 男の格好の方がやはり落ち着くのだが、わがままも言っていられない。 新一は今は“工藤新”なのだと言い聞かせて気の乗らないまま扉を開けた。 ―あかつき― 「博士、いるか?」 玄関に転がっている博士愛用のサンダルに目を向け新一は声をかける。 そして、いつも履きやすいようにそろえておいてある志保の靴がないことを確認して 新一はほっとため息をついた。 「さすがに、男から女になる瞬間なんて見せられねーし。」 いくら待ってもでてこない博士に、また実験にでも集中しているのだろうと 結論を出して新一は靴をそろえると玄関をあがる。 小声でとりあえず“おじゃまします”と告げながら。 客用の水色スリッパを履いて、博士の研究部屋と化している個室へと向かうと 案の定、何かを真剣に見つめ、手をせわしく動かしている博士が視界へと飛びこんでくる。 今度はどんな発明品なのだろうか。 新一は興味本位でそっと後ろから、博士が手の中で転がしている部品を見つめた。 「ここがこうじゃから・・・いや待てよ、この配線は。」 小さな工具が博士の大きな指の間でせわしく動く。 ハンダを使って配線をつなげる視線はプラモデルを作る少年と変わらない。 新一はそんな博士に苦笑しながらそっと声をかけた。 「博士。今度はなにを作ってるんだ?」 「うおっ。なんじゃ、新一か。驚かさんでくれ。」 小さな部品を落としそうになってあわててる博士。 それでも、振り向いたときには人好きな笑顔を浮かべていた。 新一は驚かしたことをわびながら、早速、頼み事を口にする。 「そろそろくる頃じゃとは、思っていたんじゃ。」 「それにしては、すごい驚きようだったぜ。声、かけたとき。」 「ゴホンっ。細かいことは気にするんじゃないわい。 よし、では・・・・。」 博士は集中するために一呼吸おくと、いつものように短い呪文を口にする。 性別を返るほどの変化を行うとき、それは盛大な力を必要とするはずだが 博士は一度もいやそうな表情をすることはなかった。 しばらくしてフッと全身の力が抜け、新一は膝をついて床へ倒れ込む。 博士も力を使ったためか軽く足下をふらつかせた。 「OKじゃ。」 「博士、大丈夫か?」 「ああ。まだまだ、若い者には負けんぞ。」 ドンと胸をたたいてすぐにせき込む姿に新一は苦笑を漏らす。 そして、徐々に力の戻ってきた体をゆっくりと持ち上げた。 長くのびた髪の毛を束ねて、高い位置で結ぶ。 首元にスッと風が通るこの瞬間は新一なりにお気に入りだ。 「ありがとな。博士。」 髪を結び終えて軽く頭を下げる。 「なに、お安いご用じゃよ。このくらい。」 「そうかしら?」 博士の声を遮って部屋の入り口から聞こえてきた声。 その声の主を視界に納めて、新一と博士は言葉を失った。 あきれたような視線を向けたまま、彼女はドアにもたれかかるように立っていた。 組まれた腕の上にある指は小さく動いている。 「工藤さんが来た日は、いつも疲れているから。まぁ、軽い疲労でしょうけど。」 「そうだったのか?」 「そんな顔しないで。別に攻めているわけじゃないわ。 すぐに博士も寝ればいいのに、そういう日に限って頭がさえるとか言って 実験するのが原因なんだし。」 手に持った買い物袋から栄養ドリンクを取り出して志保はそれを博士へと渡す。 博士は目を見開いたまま、それを受け取って、礼を述べた。 「で?聞いてもかまわないかしら。工藤さんの・・・いえ工藤君のこと。」 「志保君、待ってくれ。これは、その、・・・。」 「いいよ、博士。宮野にはいずれ話すつもりだったし。なんかさ。 宮野には隠し事したくないんだよな。おまえってそんな雰囲気を持ってるんだ。」 不思議だよな。と付け加えて新一は苦笑する。 それに志保は少し驚いたような表情を作った。 「じゃあ、話してくれるの?」 「もちろん。信じてもらえるかはわからないけど。」 「信じるわよ。工藤君の言葉なら。」 志保はそういうと、そばにあったイスを新一に勧める。 立ち話はなんだから。と付け加えて。 「・・それで、工藤君は黒羽君を捜しにきたというわけね。彼らを連れて。」 一通りの話を聞き終えた志保は確認するように、新一の顔をのぞき込んだ。 新一はゆっくりとうなずく。 「そういうことだ。まぁ、ほかにもいろいろ話していないことはあるけど、 後々でかまわないよな?。」 「もちろんよ。 どんなに近しい間柄でも相手のすべてを知っている人間なんて存在しないわ。 相手の知らない部分を少しずつ知っていけるから共にいられるのだし。」 少しだけ申し訳なさそうに目を細める新一に志保は穏やかな笑顔を浮かべる。 考え方は大人であっても彼にはまだ、子供っぽい部分があると志保は思った。 だがそれは、別に短所的なことではない。適当な言葉を当てるなら“純粋”であろうか。 「これからはフォローも頼むな。志保君。」 「そうね、博士のあの慌てようじゃ、誤魔化せるものも誤魔化しきれないし。」 クスクスと笑う志保に新一も同意して小さく笑う。 博士はそれにばつの悪そうに顔を伏せた。 「ところで、工藤君。」 一通り笑い終えて志保が口を開く。 新一は笑いすぎで目尻に溜まった涙を拭いながら志保を見た。 「何だ?」 「ちょっと気になっていたんだけど・・・工藤君、黒羽君のこと好きよね?」 顎に人差し指をあてて志保は思案するようにおそるおそる尋ねる。 その発言に博士は驚いたように新一を見、 新一はまるで鳩が豆鉄砲をくらったかのようにポカンと口を開ける。 その様子に志保は“やっぱり、気づいてなかったのね”と内心ため息をついた。 「好き・・の意味は分かってる?」 どうして恋愛話なんて始めたのかしら。 志保はそう思いながらも後に引けないと感じ、新一に続けて尋ねる。 「俺は宮野も博士も好きだぜ?それに蘭に服部に・・・。」 「そうじゃなくて。」 指折り数えて名前を挙げていく新一を志保は制す。 このままでは、新一の家族全員のフルネームを知ってしまうだけで 話は進まないのだから。 「そうじゃなくて、もうひとつの“好き”よ。」 「し、志保君。わしは席を外しても良いじゃろうか?どうもその手の話は。」 博士が慌てたように席を立つ。 実験をしていたはずなのに、その道具は気がつけば妙な具合に壊れていた。 おそらく話を聞かないようにと、先ほどの研究に意識を向けたのだろう。 それでも、この奥手な老人には志保の話はどうもむずがゆかったらしい。 「何で博士が照れてるんだ?」 慌てるように部屋を出ていく博士を見ながら新一は首を傾げる。 それに志保は困ったような笑みを浮かべた。 「で、宮野。おまえは何が言いたいんだ?さっきから。」 席に座り直して、新一の双眼が志保を見つめる。 透き通るような蒼を向けられて志保は少しだけその鮮やかさから目をそらした。 「そうね。柄にもないことをしようとしているのよ。」 そう、柄にもないこと。恋愛の手伝いなんて。 「工藤君。少しだけ考えてみて。いい?少しだけよ。 貴方の隣にいていつでも笑っていてほしい人は誰なのか。」 「はぁ?」 「話はここまで。もう、遅いわ。毛利さんたちも心配しているでしょうし。」 スッと立ち上がって志保は時計を見る。 時計の短針はまっすぐに数字の“8”を示していた。 「なぁ、宮野。」 「何?」 「そう思う人間が二人いることは変だよな。」 「え?」 驚いたように振り返った志保の視界を埋め尽くしたのは 何とも言えない柔らかなそれでいて哀しそうな笑顔を浮かべた新一。 そう、新一が志保の言葉で思い浮かべたのは いつも支えになってくれるクラスメイトと白い奇術師。 予想外の発言に言葉を失っている志保に “冗談だよ”と告げると新一は部屋を去った。 心に芽生えた小さな問題に頭をひねらせて。 あとがき 今回はニブイ新ちゃんというテーマです(笑) あとは志保ちゃんの“恋愛レクチャー”ですかね? |