やはり現場に行ったためか、体は微妙に疲れていて

教卓に立つ国語教師の声はだんだんと遠くになっていく。

そんなとき、その声に混じってか細い響きが新一の耳に届いた。

 

 

―あかつき―

 

 

一気に覚醒する頭。

新一がそっと後ろを見ると、快斗にもその響きは聞こえたようで意味ありげに苦笑していた。

新一は軽くため息をつくと、黒板の横に掛かった時計を見上げる。

授業終了まであと5分足らずだろう。

 

“屋上にいるから、来れるときに来て。”

 

聞こえた響きは、間違いなくスズのもの。

 

いったい何の用事だろうか。

 

新一はそんなことを考えながらぼんやりと教師が読み進める古典に耳を傾ける。

 

KIDは本当に彼女に手渡したのだろうか・・・それだけが少し気がかりだった。

 

 

「それじゃあ、今日はここまで。

 明後日の授業までに各自予習をきちんと済ませてきなさいね。」

 

「「「はい」」」」

 

生徒たちの返答に満足げな表情を作ると、教師は教室を出ていく。

まぁ、返事通りやってくる生徒はごく一部だろうが。

 

 

 

休み時間に入ったのを見計らって、新一は席を立ち、快斗もそれに引き続いた。

教室を出て走るように屋上へと向かう。

 

「にしても、何の用件だろうな。アリスはKIDの手中だっていうのにさ。

 まさか、工藤。KIDのところまで催促に行ったとか?」

 

KIDを生で見たこともないのに、どうやって行くんだ・・・。」

 

前の持ち主、迫田に接触を試みた前例があるためか、

快斗は思いっきり疑わしそうな視線を向けてくる。

それに、新一は“まさか”とあきれて返事を返した。

 

「とにかく、スズの手元に運良く収まってくれてればいいけど。」

「はは。そうだね〜。」

 

快斗は軽く相づちを打つと、扉を開ける。

外は鉛色の雲が漂ういやな天気だ。

 

「雨、降りそうだな。」

 

快斗は後ろ手で扉を閉めながらぼそりと言葉を漏らし新一はそれに軽く頷いた。

 

『早かったのね。』

 

「スズ。アリスは?」

 

『きちんと返してもらえたわ。親切な泥棒さんから。』

 

屋上の手すりに座って、スズは振り返り際にとびっきりの笑顔を浮かべる。

 

『ありがとう、二人とも。本当に助かった。』

 

スズの手の中で赤い宝石が転がり、それは薄暗い空の下で淡く輝いていた。

少しだけ薄くなっている、スズの足を見て、新一は“そろそろだな”と思う。

思いを遂げられた幽霊は帰らなくてはならないのだ。

 

「スズちゃん、帰るんだね。お母さんたちのところに。」

 

『そう。でも帰る前に一言、言っておくわ。

 私が言うことじゃないかもしれないけど、あなた達、すごく遠回りしてるわよ。』

 

「「え?」」

 

『まぁ、遠回りも必要なのかもしれないけど。』

 

スズはそう言うと、ヒュッと空中に浮かぶ。

 

KIDが誰であるか知っていて、新一の姿も知っているスズにとって

二人がお互いに惹かれあっているのに、

二股だと勘違いしていることはひどくもどかしく感じる。

 

だけど、生きているからこそそうなんだろうとも、スズは思った。

 

 

狐につままれたように呆然と見上げる二人にスズはもう一度深々と頭を下げる。

 

『お幸せに。』

 

優しき二人に幸あらんことを。

その言葉を残してスズは消えた。風に吹き消されるように。

スズが消えて数分後に堰を切ったように雨が降り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

土砂降りだったが、二人は屋上を立ち去る気分にもなれず、

チャイムが鳴った後も、屋上への入り口近くで雨が降るのを眺めていた。

少しだけあるコンクリートの屋根に隠れるように身を縮ませて

ぼんやりと雨がコンクリートの屋上を打ち付けるのを見つめる。

足下には小さな水たまりができて、時々足下に跳ね返った。

 

「いなくなると、寂しいな。」

「そうだね。」

 

はじめの出会い方は最悪だったけれど、今思えばいい思い出で。

少しだけ目頭が熱くなる。もちろん泣くことはないけれど。

 

正午を告げる鐘の音が街の中心部から聞こえる。

その音に新一はスッと立ち上がった。

 

「戻るか。」

「え〜。さぼるのかと思った。」

「学年一位が何言ってるんだよ。」

「何で、しってんの?」

「宮野から聞いた。無駄にIQ持ってるって。」

「無駄って・・・。」

「ほら、行くぞ。」

 

差し出された細い腕。

快斗はブーッとふくれていたが目の前に現れたそれに反射的に手を伸ばす。

掴んだ手は思ったよりも冷たくて。

 

「雨で冷えた?」

「黒羽の体温が高すぎるんじゃねーの?」

「どうせ、お子さま並の体温ですよ。」

 

お互いに軽口を叩きながら教室へと戻る。

もちろん、手は扉を開けるまでつながれたままの状態だった。

 

 

 

 

「二人して遅刻なんて、怪しいじゃん。黒羽。」

 

4時間目が終わり昼食の時間になった時、

クラスメイトが雁首をそろえて快斗に詰め寄った。

どうもこのクラスでは抜け駆けは一番のからかい道具に使われるようで、

前回の服部のような状態だ。

快斗はお弁当のタコさんウィンナーを口に運びながら“ん?”と顔を上げる。

そして、周りで弁当を食べていたメンバーも不思議そうに彼らに視線を向けた。

 

ちなみに食事のメンバーは、快斗、紅子、志保、そして平次に新一の5人。

白馬は今日は用事でいないらしく、青子は恵子と食べるので一緒ではない。

それでも、顔かたちの整った女子が3人もいるのだ。

 

彼女たちに見つめられて、快斗の友人たちはウッと詰まってしまう。

ここでは話しづらい。

そう判断したのか、一人の長髪の男が軽いのりで快斗の首に腕をかけ

無理矢理、立ち上がらせると他の二人も同様に快斗の両腕を掴んだ。

 

「黒羽、お借りしま〜す。」

「ええ、どうぞ。」

 

志保はにっこりとほほえんで、返事を返す。

もちろんその笑顔に“さっさと、どっかに行け”との意味が含まれているとは

志保の笑顔に見とれた3人に知る由もなかったのだった。

 

 

 

そして快斗が連れて行かれたのは廊下。

3人は引きつった笑いを浮かべて快斗に詰め寄る。

 

「おまえ、あんなにかわいい幼なじみもいるのに、

 我がクラスのアイドルにまで手を出す気かよ。」

 

「アイドルって・・・工藤のこと?」

 

「当たり前だろ。そりゃあ、小泉さんも宮野さんも知的ビューティーだけどさ。

 なぁ、頼む。工藤さんだけにはアプローチしないでくれよ。」

 

「俺たち、中森にはいっさい手を出さないから。」

 

快斗はそう言って頼み込んでくる男3人に対して気が疲れない程度にため息をついた。

 

いったいいつから青子と自分は公認の仲になってしまったのか。

それだけが今、自分の中では大きな問題だ。

青子にはいい加減気がついてほしいとは思う。

でないと、彼女に淡い期待をさせたままになるから。

 

『いつまで彼女を偽るつもりなの。

 嘘は時に最大の優しさとなるけど、殆どの場合が相手を傷つけるわ。』

 

頭にふと浮かんだのは、志保に以前、言われた言葉。

彼女が本当に言いたいのはKIDについてのことだろう。

だが、もちろん今の事態についてもそれはぴったりと当てはまるように快斗には思えた。

 

ひょっとして、このこともあったのかもな。

 

快斗は完敗だとばかりに目元に手を当ててククッと笑う。

それに男3人は、快斗を怒らせたのかと思って心配げに顔を見合わせた。

 

「1つ言っておくと、工藤のこと俺、本気だから。」

 

「は?じゃあ、中森は?」

 

驚いたような表情の3人を見つめながらも、快斗の意識は教室にあった。

教室の扉一枚を挟んだところで青子の気配を感じる。

今回の遅刻した件を彼女も気になっていたのだろう。

友人の恵子とともにドア付近に立っているのが手に取るようにわかった。

 

わりぃ、青子。俺は顔合わせで言えるほど強くない。

 

これが卑怯な方法とはわかっているけど・・・

今しかチャンスはない。そう自分に言い聞かせて快斗は一呼吸おき、はっきり嫁げる。

友人3人に、そして青子に聞こえるように。

 

「青子はただの幼なじみだよ。今までもそしてこれからも。

 今後それ以上になることはないし、それ以下になることもない。大事な幼なじみだ。」

 

ガタンっと扉越しに青子がバランスを失う音が聞こえた。

“青子っ”そして続けて聞こえる恵子の心配そうな声。

 

だけど快斗は扉を開けることはしない。

むしろ、快斗に詰め寄った友人3人のほうが、気の毒そうに扉の奥を見つめていた。

 

「黒羽、わりぃ。中森に・・・。」

聞こえたみたいだ。

 

快斗が気づいてないと判断したのか、一人がすまなさそうに顔を伏せる。

 

「いつかは言わなきゃならないことだったから。」

「・・・そっか。俺たちも悪のりしすぎたよ。」

「がんばれよ。工藤さん。手強そうだぜ。」

 

友人たちは快斗の肩を叩いて、教室とは反対方向に向かって歩き始める。

今、扉を開ければ青子の泣き顔に出会うだろうから。

 

もちろん快斗の声は、扉の近くにいた青子と恵子にしか聞こえてはいないけど。

 

教室の中からざわめきが聞こえる。

急に泣き出した青子をみんなが心配しているのだろう。

騒がしいがどこまでもお人好しなクラスだから。

 

快斗はそんなことを考えながら、

友人たちが向かった方向とは逆の方向へ足を向けるのだった。