教室の扉近くで泣く青子に紅子は慌てたように近寄った。

それに続いて平次や志保、それに新一も箸を休めて彼女に近づく。

何があったのか予想がついているのは、紅子と志保だけ。

二人は顔を見合わせて、悲痛そうな表情を浮かべた。

 

 

―あかつき―

 

 

「中森さん。大丈夫か?」

 

青子の泣き顔を見て、平次はポケットからハンカチを取り出した。

 

「なんや嫌なことあったんかもしれんけど。今はしっかり泣くのがええ。」

 

平次の優しい言葉に青子は黙ってコクコクと頷く。

恵子は平次からハンカチを受け取ると青子の顔の前に差し出し、

あいた方の手で彼女の背中をさすった。

 

「ごめん、だい・・じょうぶ。」

 

涙も事切れたのだろう。数分して彼女はいつもの明るい笑顔を浮かべる。

それにクラス全体もほっとしたようで、それぞれの食事へと戻っていった。

 

「顔、洗ってきたら?中森さん。」

「うん、紅子ちゃんも志保ちゃんもありがとう。それに服部君も。」

 

優しくほほえんで青子は順番に周りに集まってくれた友人に礼を述べる。

 

だけど・・・

だけど一番遠くに心配そうな表情で立っている新一だけにはどうしても御礼が言えない。

それどころか、視線はきついものへと変わる。

とたんに驚いたような新一の表情に、青子はハッと自分の失態に気がついて

慌ててその場から逃げるように立ち上がった。

 

 

 

――――どうしよう・・・私、工藤さんのこと恨んでる?

 

 

先ほど扉越しに聞こえた快斗の声。

それははっきりと“工藤への好意”を示していた。

数日前にやってきた転入生に、大好きな人をとられてしまう。

自分はずっと彼に出会ってから、彼を好きでいたのに。

 

ドス黒い感情はコップから水があふれ出すように、青子の感情を埋め尽くした。

 

 

「顔、洗ってくる。」

「青子、私も行くわ。」

 

青子の肩をさすりながら恵子も洗面所へと向かう。

その二人の背中を眺めながら、新一は青子から向けられた視線に頭を抱えていた。

 

 

 

青子は結局教室には戻らずに早退した。

その事実に、顔を濁らせたのは事情を知る快斗の友人3人と快斗、

それに恵子や志保に紅子だった。

クラスメイトは気分が優れないのだろうと思い心配そうにはしていたが。

 

「工藤、帰るで。」

 

授業も終わり、鞄に荷物をしまい込んで平次は新一の肩を叩いた。

それに新一はあれ?と首を傾げる。

 

「おまえ、部活は?」

「元気のない工藤を一人で帰らせるなんてできるわけないやろ。」

 

今日は和葉も蘭も委員会やから遅いし。

そう付け加えて平次はニカッと笑う。

 

「ほら、夕飯の準備もあるんやし。」

「それは俺の当番だろ。いいから部活に行って来いよ。大会も近いんだし。」

「相変わらず頑固やな。好意は素直に受け取るもんや。」

 

「俺は大丈夫だから。今日はのんびり一人で考えたいんだ。」

 

 

だめか?

 

そう上目遣いに尋ねてくる新一に、“降参や”と平次は思う。

彼に心底頼まれるとどうしても頷くことしかできない。

もちろんそれが新一にとって好ましくない状況になるとわかっていても。

 

「ほな、お言葉に甘えて。」

「ああ。しっかり励めよ。」

 

新一はそう言うと柔らかい笑みを浮かべて教室を出ていった。

 

 

 

 

後ろから西日が差し、道には長い影ができる。

その影を追いかけるように新一は一人、ぼんやりと歩いていた。

 

青子に向けられた、憎悪の混じった視線。

新一は昼食後、そのことばかり考えていた。

あの状況から察するに、涙の理由は紛れもなく自分にある。

 

「俺が何をしたんだ・・・。」

 

いくら考えてもその理由は見つからず、新一は重々しくため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「青子、嫌な人間だ。」

青子は自宅のベットに寝ころんで真っ白な天井を見上げる。

 

嫉妬で新一を睨んでしまったことはお門違いなことは十分にわかっている。

そして彼女を傷つけたことも。

 

「快斗はわかってるのかな・・・。青子が早退した理由。」

 

心配してのぞきに来てくれるかもしれない。

青子はそんな期待を抱いている自分自身に苦笑を漏らす。

もう、彼の一番は自分ではないのに。

そう考えただけで、止まったはずの涙はこぼれ落ちた。

 

「かいとぉ・・。やだよ・・・。」

 

『それならば奪えばいい。』

 

「誰!?」

 

耳に響いた声に青子は涙を拭って慌てて飛び起きた。

部屋中を見渡しても人の影形はない。

あるのはゾッと背中の後ろを走る寒気だけ。

青子は反射的にこれが人的なものではないのだと悟って身を震わせた。

 

『怖がるな。私は別の場所にいておまえと話をしているだけだ。』

「な、何者なの。」

『知る必要はない。ただ、工藤についておまえに話すことがあってな。』

「工藤さん?」

 

今、一番聞きたくない名前。

快斗の一番の人。

 

青子は再びあふれ出しそうになる涙を必死にこらえた。

 

『そう。やつは人間ではない。考えても見ろ。

 幼なじみの黒羽が急に彼女に心を奪われたというのはあまりにも可笑しくないか?

 今まで、黒羽がどんなにおまえを大事にしてきたか。

 工藤の力は言葉によって相手を誘導できるという能力の持ち主だ。

 それによって村を追われた。だからこそ、昔の話はしないだろう。』

 

地を裂くような低い声を青子は黙って聞き入った。

 

言われてみれば、確かに彼女は変わっていた。

男のような口調、そして昔話をいっさいしない。

聞いても笑ってはぐらかす。

 

それになにより、快斗の心を一瞬で奪った。

 

『私はおまえたちを見守ってきたもの。いわゆる守護霊とでも思えばいい。

 おまえが思っていたように黒羽はおまえを愛していた。間違いなく。

工藤が黒羽をそそのかしたのだ。』

 

「そんな・・・。」

 

『あの女はその美しさで、村の男たちの精神を破壊した。

 黒羽がそうなるのを防げるのは、おまえだけだ。』

 

「快斗を助ける・・・?」

 

『そうだ。工藤を殺せ。あいつは人間ではない。黒羽を助けて奪い返せ。』

 

 

「工藤さんは・・・悪魔。私が快斗を救う。」

 

『行け。今、帰宅途中の工藤は一人だ。』

 

「私が・・・快斗を助けるわ。」

 

フッと立ち上がって、青子はカッターナイフをスカートのポケットに押し込んだ。

そして、おぼつかない足取りで階段を下る。

 

 

 

『そうだ。ククッ。工藤家を滅ぼせ。そしてあの宝石を我がものに。』

 

 

誰もいなくなった部屋に、不気味な声が響いた。