痛む傷を押さえて新一は自宅の扉の前にたった。

完全に闇と化した時間帯。だけど部屋の中は暖かな光に満ちている。

チャイムをおそうと手を伸ばすが、その右手に巻かれた包帯に押す勇気がもてなかった。

 

 

―あかつき―

 

 

「工藤君?」

 

2人で居るときは、律儀に必ず“君”付けで呼ぶ志保。

“そのほうが、自分の存在を確認できるでしょう?”とは志保の科白。

 

「押してあげましょうか?」

「なぁ、言い訳、あれでいいか?」

 

「あら、私と黒羽君で考えた言い訳に不安でもあるの?

 少なくとも貴方がとっさてきに考えた言い訳より十分説得力があるわ。」

 

そう言ってフフッと笑う志保に新一は軽く苦笑を漏らす。

確かにあの言い訳は自分で考えてもお粗末なものだった。

だけど、志保と快斗はそれを追求することなく、それどころか言い訳まで考えてくれた。

 

「ちゃんとフォローするから。」

「悪いな。いろいろと。」

 

胸の奥に感じる罪悪感を押しとどめて新一はベルを鳴らす。

その音に慌てるように駆け寄ってきた気配を感じて、

志保と新一は顔を見合わせて再び笑みを浮かべた。

 

 

早速怪我について追求してきた3人。

新一は快斗と志保に教えられたように事細かく状況を説明する。

 

 

+++++++++++++++++

 

『工藤の怪我は、手のひらと甲だから、ガラスケースに手を突っ込んで

 引き出したときに上と下を切っちゃったって言うのがふつうだよな。』

 

『そうね。まぁ、傷口さえ見られなければ、ある程度は納得するでしょう。』

 

『にしても、学校帰りにガラスケースに手を突っ込む馬鹿はいるか?』

 

『それが貴方なんだから仕方ないでしょう。

 大丈夫、日々の行動を見ていれば納得してくれるわ。』

 

『ああ、俺もそれ同感♪』

 

『・・・(怒)』

 

+++++++++++++++++

 

 

そして考え出された話の筋はこうだ。

 

新一と志保は一緒に帰り、

新一は手を滑らせて鞄をとある空き家のガラス窓に投げつけてしまった。

 

それで、あわてて窓の割れている場所に手を突っ込み、

鞄を引き出す際に手の甲とひらとを、割れた破片で切ってしまう。

とまぁ、ふつうなら“は?”と目を点にする話である。

 

だが、新一の演技力と志保の助言もあってあっさりと彼らは納得した。

 

 

「にしても、連絡ぐらいはいれなさいよ。」

「わりぃ。」

「宮野もすまんかったな。病院まで付き添ってもらって。」

「いいのよ。私も止めるべきところを止めれなかったんだし。」

 

少しだけすまなさそうに目を細めて告げると、和葉は軽く顔の前で手を左右に振った。

 

「いや、宮野さんは悪くないで。そんな行動するなんてふつう、思わへんもん。」

「悪かったな・・・。ふつうじゃなくて。」

 

新一の言葉に蘭たちはクスクスと笑いはじめて、徐々に話題は移っていった。

それから、博士を呼んで、夕食となり、志保は久々に大勢の食事を楽しむ。

新一は巻き込んでしまったのではないかと気を遣っていたが

志保はそれに軽く苦笑して“たまには、こういう食事も良いわね”と告げた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、学校に行けばやはり新一は怪我について質問責めになる。

だがそのたびに、平次や志保、それに快斗が事情を説明してくれて

新一は完全に“天然”のレッテルを貼られてしまった。

 

ばれなくて良かったけど・・・これって不名誉じゃねーか?

 

と後々新一が思って頃にはすでに手遅れであったとか。

 

 

「それにしても、工藤さんがそうだったなんて、以外だったな。」

 

青子はそう言って新一に微笑んだ。

その笑みに新一も少しだけ照れ笑いを浮かべる。

だが、内心では多大な安堵の息をついていた。

 

どうやら、彼女は怪我のことを完全に忘れてくれたらしい。

そう思うと久しぶりに、自分の力に感謝したくなった。

いつもは不要で邪魔にしかならない力だけど。

 

「中森さんも人のこと言えないんとちゃう?黒羽がドジや言ってたで。」

 

「はぁ?もう、快斗。青子の悪い噂しないでよ。」

 

青子は後ろにいる快斗に文句を付ける。

それに、快斗は“あ、ああ”と曖昧な返事を返した。

 

「快斗?どうしたの。今朝から様子が変だよ。また気分でも悪い?」

 

そう言って心配そうに顔をのぞき込む青子に快斗は“どっちがだよ”と言いたくなる。

昨日のこともあって、快斗としては話かけづらいのだ。

それなのに彼女はまるで何も無かったかのように元気だから。

 

まぁ、そこまで好きじゃなかったって事か。

そんなら、いつもどおりの関係に戻らないと。

 

「俺はアホコと違って、朝から馬鹿元気ではいられないんだよ。」

「もうー。言ったわね!」

 

快斗は不思議に思いながらも、きちんと誤解を解いてくれて立ち直ってくれた青子に

ホッとため息を付きながらいつも通りの罵倒を始めた。

その様子に、紅子や恵子も穏やかな笑みを浮かべる。

 

だが、青子の落ち込んだ原因を知る志保としては、どうも引っかかりを覚えてならなかった。

 

「ねぇ、工藤君。少し、いいかしら?」

「え?」

 

確かめるべきだ。彼のために。

志保は直感的にそう思った。

追求はしないと心に決めていたけれど。

 

真剣な志保の表情に新一は黙って頷く。

そして、騒がしくなり始めたクラスからそっと2人は廊下へと向かった。

 

しばらく歩いて渡り廊下まで来たとき、志保はぴたりと足を止める。

人工芝の敷き詰めてある5階の渡り廊下には屋根もなく、

雨の日ははっきり言って誰も通らない場所だが、

晴天の日は屋上よりも、さわやかに陽光が降り注ぐ場所で、志保のお気に入りでもあった。

 

もちろん、ここを通る生徒はまばらなため、大事な話をするには適切でもある。

 

 

「宮野。話って?」

 

「追求しないと決めたけど、

 どうもフォローが必要になる事態になるんじゃないかと思って。

 聞かせてくれる?貴方だけにやどる特殊な力について。」

 

スーッと冷たい風が、志保と新一の髪を通り抜けていく。

新一は志保の視線に根負けして、軽く深呼吸すると自身に宿る力について彼女に話した。

 

 

「そう、やっぱり。だから中森さんが元気なのね。」

「どうしてそこで、彼女が出てくるんだ?」

 

新一が話したのは“言霊使い”についてのみ。

なのに、教室で元気に話していた少女の話題に移って新一は目を見開いた。

 

「工藤君、これだけの状況証拠があって私が気づかないとでも思う?

 その怪我、中森さんが付けたんでしょ?」

 

「違う、これは。」

 

「誰にも言わないから。」

 

声量を上げて否定しようとする新一の手を両手で包み込むようにして添えると

志保はジッと新一を見つめる。

 

それは、嘘を許さない瞳だった。

 

「宮野の言うとおりだ。俺が彼女の記憶を操作した。」

 

「それにしても、嫉妬で彼女がそこまで動くとは思わなかったわ。」

 

「嫉妬って?」

 

「いえ、何でもないわ。」

 

首を傾げる新一に、本当に分かっていないのね。と志保は思う。

 

青子がどうして昨日、新一にあれほど冷たい視線を向けたのか。

少なくともあの場にいて、青子の気持ちを知っていた紅子と志保には痛いほど分かった。

 

純粋な愛情が捩れるとそれは時に凶器になる。

嫉妬という名の凶器に。

 

「でも、彼女もとりつかれていたんだ。何でなのかは分からないけど

 心の隙につけ込む怨霊はいくらでもいるからな。

 それに、前に言っただろ?俺は怨霊にとっては良い餌だって。」

 

「そう言えばそうだったわね。そうよね、中森さんはそんな人ではないわ。」

 

「ああ、俺も分かってる。だから、うまくフォローを頼む。

 おそらく彼女の昨日の記憶は曖昧だから。それで宮野。話ってそれか?」

 

「ええ。わざわざ悪かったわね。そろそろ教室に戻ったほうがいいかもね。」

 

志保はそう言って革製の腕時計を見つめる。

チャイムが鳴るまであと15分近くはあるけど、長く教室から居なければ

青子あたりが、どこに行ってたの?と聞いてこないとも限らない。

 

 

前から思ったけど、どうして彼女は他人の行動を気にしすぎるのかしら。

 

彼女は敏感というよりも、まるで独占欲に似た感情を時折、友人たちへと向ける。

もちろんそれは、彼女の明るさできれいに覆い隠されているけれど。

ひょっとしたら、そんな唯一のどす黒い感情の部分につけ込まれたのかもしれない。

 

志保は遠くを流れる雲を見つめながらそんなことを考える。

 

 

「行こう。宮野。」

「ええ。」

 

 

そう言ってくるりと教室のほうに体を向けると、新一はゆっくりと歩き始めた。