「かぐや姫かと思った。」 静かな空間に響いた声に新一はゆっくりと視線を戻す。 ようやく交わった視線が嬉しいのか、声をかけた男はニコリと笑った。 ―あかつき― 「風邪、ひくよ?」 新一の部屋に遠慮なく入ってきた男、快斗はそういうと己の羽織を新一の肩にかけると そのまま後ろから抱きしめ、今は長く伸ばされている漆黒の髪に優しく口付けした。 「快斗?」 まるで何かを逃すまいと抱きしめる手に力を込める快斗に新一は恐る恐る彼の名前を呼ぶ。 その甘い囁きに、新一の言霊を恐れる人間は愚か者だと快斗は罵倒したくなった。 こんなにも優しい声なんて他にないのに。 「ずっと月を見てるからさ。月に盗られるんじゃないかって心配でね。」 そう言って、彼は止め処なくキスの雨を降らせる。 旋毛に、額に、耳に、瞼に、頬に、そして唇に。 新一は心地よさそうにくすくす笑って、快斗の行為を感受した。 「明日なんだって?」 「あれ?言ったっけ、俺。」 新一の一言に驚いたように快斗は目を見開く。 確かに明日、パンドラを手にするためにKIDになるのだが、 今回は騒ぎだてるわけにはいかないので、あくまで予告状無しに忍び込むつもりだ。 だからこそ、いつ盗みに入るとは誰かに公言したはずはなかったが・・・。 快斗はそこまで考えて、ふと、部屋の隅に白い生き物がいることに気づく。 「あいつかぁ。」 「ペドを責めるなよ。俺が無理いって聞き出したんだからさ。」 身を縮めてしまった白鳩が不憫になった新一は慌てて口を挟んだ。 KIDの予告状をいつも届けてくれた鳩のペド。 名前の由来は新一の誕生石であるペリドットからきているのだと ペドは偶然の巡り合わせに喜んでいた、その鳩だ。 「責めはしないよ。ただ、新一を驚かせようと思ってたのにさ。」 残念。と子供がイタズラを失敗したみたいな表情をつくる快斗に新一は頬を緩める。 KIDという名前が彼にぴったりだと思うのはこんな瞬間だ。 日頃は言うことも仕草もひどく大人びているのに、欲求には素直で。 きっと彼がマジシャンということも影響しているのだろう。 心はきっといつまでもKID、子供なのだから。 「ばぁろぉ。俺を出し抜くなんて100万年早いんだよ。それより、相手は?」 快斗の腕を抜け出し、正面に座りなおすと蒼い彗眼を彼へ向ける。 この視線を向けられると誤魔化しも嘘も不可能になる、彼の杞憂な瞳。 快斗は観念したように手を上げて、ゆっくりと口を開いた。 「ベルモットだ。」 「ベルモット・・・って。魔女の家か。」 「有名みたいだね。この村では。」 快斗はそういうと、ペドを呼び寄せて彼?の足首に何かを結びつける。 そして軽くキスを落とすと、月夜に向けて彼を放った。 以前、鳥目じゃないのか?と聞いたが、彼は鍛え方が違うのだと自信満々に告げたっけ。 新一はペドを見送りながら彼とのやりとりをぼんやりと思い出した。 「新一。ペドがお気に入りってことは分かってるけどさ。情報、ちょうだい。」 「妬くなよ。それに、魔女の情報なんておまえが知ってることと大差ないぞ。」 情報なんてそれこそ人に頼む前に手にしていることくらい新一にも分かる。 目の前の男は、何も知らない、何もしていないといったように馬鹿みたいな顔をしているが、 これでいて抜け目がないのだ。そう、いっそムカツクほどに。 でなければ、自分がKIDにここまで苦労するはずがないのだから。 「新一、新一様。頼むから勝手に思考を廻らせて、俺にムカツクのやめてくれないかな?」 「おめぇはエスパーか。」 「新一のことは以心伝心で分かっちゃうの・・じゃなくて。魔女の情報!!」 いい加減痺れを切らしてきた快斗に新一は軽くため息をつく。 魔女の情報。できれば彼にとって役立つものがあればいいけど。と思いながら。 魔女・・とは、村の辺境に住む女性のあだ名であって、 彼女が小泉紅子のような正式な魔女かどうかは定かではない。 ただ、出生も謎で気がつけばごく当たり前に村人として暮している異国人だ。 ゆるくウェーブした金色の髪にいつも黒の着物をきており、 妖艶に微笑む女は一種の占い師のようなことを生業としている。 雨がいつ降るとか、今年は何が豊作になるとか、その占いを外したことは一度もない。 そんな彼女をいつしか村人は魔女様と慕い、創始とは別格に讃えられていた。 彼女の年齢を知るものはいない。 彼女の生まれを知るものはいない。 彼女がいつからそこにいたのか知るものはいない。 知っているのは名前だけ。ただ、その名前も本名なのかは謎だ。 「ここまでは快斗も知っているだろ?」 「ああ。」 「俺が知っているのは、彼女の真実の姿だ。」 彼女は人間じゃない。 もちろん魔女でも。 ニッと笑って告げる新一に快斗ができたのは眉間にシワを寄せることだけだった。 探偵の部屋で盗みの準備する怪盗がいるか!! と蹴りだされた快斗はあてがわれた部屋に戻ると道具の手入れを始めた。 手を動かしながらも頭の中は新一から与えられた情報がぐるぐると渦巻いている。 『ベルモットはジンの式神のひとつ。飛縁魔だ。』 ジンについて快斗が知るべき情報は少ない。 ソウという右腕、配下にいるケルベロスやブラッドが式神なのかどうかさえ分からない。 仮に全てが式神だとするならば、 ジンは複数の式を有することができるということなのだろうか。 現に快斗が2匹も式神を有していることも異例だというのに。 さらにベルモットにいったっては、式神であるはずなのに人間に紛れ込んで 自分の意思で生活しているではないか。 「わけがわかんねぇ。」 『わかる必要はないだろ。』 言葉と共に音もなく畳の上に一匹の獣が降りる。 降りる・・といっても、どこから降りたのかは不明だ。 天井をすり抜けてきたわけでも、家具の上からでもない。 彼らだけが住んでいる世界から降りてきたのだから。 いつも存在を感じてはいるが、こうして目の前に出てくるのは呼ばれたときか 用事があるときのみで、暇つぶしで来ることはなかった。 もちろん新一に会いに来るというのは別格らしいが。 快斗は自分の式神の一匹であるアヌビスを視界に止めて短くため息をつく。 「急に出てくるなよ。びっくりするだろ。」 そう非難めいて告げても、彼の獣はフンッと鼻で軽く笑うだけだ。 『なにがびっくりするだ。思ってもいないことを言ってるんじゃねぇよ。』 「相変わらず口が悪いよな。おまえ。」 我が物顔で畳に横になるアヌビスを後目に快斗は再び道具を手に取る。 飛縁魔は男を魅了し血を吸い尽くすといわれている・・・。 そんな彼女にこれらの装備は慰め程度にしかならないだろうけれど。 『ベルモットは確かに美人だからなぁ。浮気するなら新一は俺が・・・。』 「式神が何言ってんだ。だいたい俺はずっと新一一筋で・・。」 『知ってるよ。んなこと。』 だからいらん道具の手入れするより、少しは眠れ。 グイッと袖口を引っ張られて快斗は眼を大きく見開いた。 まるで自分のことを心配しているような所業は、きっと初めてのことだ。 快斗のそんな様子が気に入らないのか、アヌビスはチッと小さく舌打ちする。 『自惚れるなよ。おまえが死んだら俺たちが新一に会えないから・・・だ。』 「了解。了解。寝ますよ。なんなら一緒に・・。」 寝る?と告げようとした言葉はアヌビスの巻き起こした風によって阻まれた。 あまりにも強い突風に視界が遮られ、風がやんだときにはもう獣はいない。 案外照れ屋な一面に快斗は人知れず笑みを浮かべてしまった。 「おやすみ。アヌビス、フォルス。」 布団を顔まで引き上げてゆっくりと眼をつぶる。 不思議と高揚していた心は落ち着いており、眠気が突然襲ってきた。 どうせ眠れないだろうと思っていたのに、身体は正直なものだ。 快斗から眠った気配を感じて、彼の枕元にアヌビスとフォルスはゆっくりと忍び寄る。 眠るその顔は、前世とほとんど違いもないが、 カイよりも穏やかにみえるのは思い違いでもないだろう。 『おまえが一筋だってこと、俺らが一番知ってるに決まってるだろ。馬鹿野朗。』 『我らが一番近くで2人を見守ってきましたからね。』 明日はいよいよパンドラが手に入る。 そして、それを新一が浄化するのだろう。 もちろん、上手くいけば・・・だが。 『ジンが復活するのが先か、我らが主がパンドラを盗み出すのが先か。』 『どちらにせよ問題は山済みですよ。それに・・・。』 フォルスは言葉を区切り満月を見上げる。 『狸が動き出したようです。』 |