博士は唖然とする志保に着いて来るよう告げると、地下にある実験室に向かった。 その部屋は、志保も度々利用する(むしろ博士は1階で実験することが多い)ため そこに何があるのか志保は軽く首を傾げる。 それでもただならぬ、博士の雰囲気に黙って彼の背中を追った。 ―あかつき― 陰湿な階段をくだり、立て付けの悪くなった扉を博士はゆっくりと開けた。 片手に飲み物を持って降りてきたときに、上手く開かずイライラすることが多く 近いうちに新しくしてもらおうと思っていた扉だ。 実験途中の薬品と、つけっぱなしのパソコンが薄暗い部屋で異様な存在感を放っている。 かつてこの部屋に入ったことのある青年、黒羽快斗は顔を妙に引きつらせていたと どうでもいいことを思い出しながら、志保は後ろ手に扉を閉めた。 「博士・・・それで、話って。」 黙って部屋のなかに立ち尽くす博士に恐る恐る声をかけるが 博士は置くに詰まれた、使われていない実験器具を掻き分けて、何かを探している。 そして、しばらく見守っていると、ガシャンと何かが開いた音が聞こえた。 「博士?」 「志保くん。ここじゃ・・・。」 彼の言葉に近づいてみると、信じられないことにそこには梯子があった。 暗い闇の中に吸い込まれているため、降りる地点は見当たらない。 ただ風は吹き上げてくるため、中に広い空間があることは確かで。 咽る様な、かび臭さに志保は無意識に目を細めた。 「こんなとこに部屋があったなんて。」 「それだけじゃないんじゃ。行くぞい。」 大きな身体を揺らして博士は暗闇の中を降りていく。 日頃は動くことも億劫にしている博士が梯子をすらすらと下る姿は まるで別人を見ているようだと思った。 志保は彼が降りきったことを確認して梯子に足をかける。 ひやりと感じる空気の冷たさに、 言い知れぬ不安と好奇心が止め処もなく内側から溢れてきている気がした。 ようやく足をコンクリートの上においたのと、博士が電気のスイッチを見つけたのは同時。 急に明るくなった室内に目を慣らすまで時間がかかる。 そして、どうにか部屋の輪郭をつかめるようになったとき、志保は思わず息を呑んだ。 「ここ・・・。」 記憶に残っている、この部屋、この空間。 幼い自分の唯一の思い出の場所。両親と姉と過ごした・・・。 「うそでしょ・・。」 ずっと遠くの名前も知らない土地にあると信じていた両親の研究所。 それがまさかずっと足元にあったなんて。 志保は信じられずその場に崩れ落ちる。 「どういうことなの・・博士。」 自分の記憶が正しければ、両親と姉は実験中の事故で研究室ごと吹っ飛んだはずだ。 そして孤児となった自分を両親と知り合いだった博士が引き取ってくれた。 なのに、その研究所は、いま目の前にある。 「それだけじゃないんじゃ。ここには・・・彼が眠っている。」 博士がそういってスイッチを押すと、長い銀髪の男が水槽の中に眠っていた。 志保は立ち上がると恐る恐るその水槽に近づく。 死んでいるのかと思ったが、胸はゆっくりと上下に動いており呼吸していることは確かだ。 「生きているみたいね。」 「彼は何百年も生きている。名前は・・ジン。君のご両親が研究していた人物だ。」 「まさか!?そんな人間いるわけ。」 無いわと続けようとした言葉は、飲み込まれる。 自分が両親の残したデータを引き継いで研究しているのは、若返りの薬。 本来、そのようなものに興味など無かったが夢半ばで死んでいった彼らの意思を どうにかしてでも引き継ぎたくて行っていた。 そんな彼らが不老不死のデータに、こんな人間を使わないはずが無いのだ。 「この人は何者なの?」 「世界の希望・・・とは言えないかのぉ。ソウ殿。」 『希望なんぞという言葉は我が主には似合わぬ。 それにしても、やはりおまえが蒼の守り人だったのだな。宮野志保。』 「・・は・・かせ?」 彼の隣にいる獣は、数日前に間違いなく新一を襲った生き物で。 ガタガタと震える足をどうにか立たせ、 志保は気丈に彼らを睨みつけることしかできなかった。 「さぁ、志保君。悪いことは言わないから蒼い宝石を渡してくれぬか。 できれば君まで傷つけたくはないんじゃ。」 『傷つけたくない・・か。さすがは、狸爺だな。』 一歩一歩近づいてくる博士を眺めながら、ソウが愉快そうに喉の奥で笑う。 ずっと信じていた人に裏切られることも、騙されていた自分も悔しくて 志保はギュッと手を握り締めた。 「両親と姉を殺したの?」 「研究を止めるなんぞ言い出さなければ良かったんじゃ。 本当はあの時、志保君も死んだはずじゃったんじゃがなぁ。」 博士はそう言って軽く肩をすぼめてみせる。 そこには志保のしる彼はもはや存在しなかった。 「ジン様の復活のために研究を利用しようとしていることに感づかれたんじゃろうな。 それで、わしはこの部屋に毒ガスを充満させて殺したんじゃ。 けれど、なぜか、君だけは生きていた。蒼い光に守られて・・・。」 「蒼?」 『そうだ。おまえの体内にあるシンが作り出した宝石だ。 ジン様の復活に必要不可欠なふたつの石。ひとつはベルモットの持つパンドラ。 そして、もうひとつが・・・。』 『我が主の持つ石でございましょう。』 志保と博士を遮るように降り立ったのは、金色に輝く4つの尾を持った狐。 『やはり、おぬしか。天孤。』 『主を守るのが式の勤め。手出しはさせませぬ。』 『ふん。狐無勢が何を言う。 おもしろい、ここは狐と狸の化かし合いでもしてもらおうか。』 ソウが余裕めいた笑みを浮かべた瞬間、天孤もまたニタリと深い笑みを浮かべる。 その隙を待っていたのだと言うばかりに。 「ちょっと、待って。どこに行くのよ!」 『安全な場所です。大人しく乗っていてください。』 「にしても、まさか逃げるなんて。」 『誰も戦って主を守るとは申しておりません。』 まばゆい光に視界が奪われ、気がついたら見知らぬ森の中に居た。 地下の研究所では膝辺りまでの大きさだった狐は、 今や熊ほどの大きさになり、志保を背負い、一心不乱に走り続けている。 木々はまるで天孤を避けるように道を作り、風のように周囲の視界は流れていった。 『詳しい話は必ずいたしますゆえ、今は信じてくれませんか?』 「狸に騙された私に狐の言うことを信じろって?まるで日本昔話ね。」 吐き捨てるように告げる志保に天孤は小さくため息をつく。 『では、走りながらお話しいたします。』 「・・・。」 無言の肯定と受け取ったのか、ポツポツと話し始めた天孤の話を 志保は背中にしがみつきながら黙って耳を傾けた。 自分がまだ5歳くらいだったころの、話を。 『狸、いえ阿笠氏は、もともとジンの式神でした。 人間の姿をしておりますが、あれは人ではありません。 もちろん、創始・・・新一殿の父上も気づいてはおりましたので 彼を外の世界を見て来いという名目で村から追い出したのでございます。』 「だから生気は必要なかったわけね?式神つかいじゃなかったから。」 『その通りです。っと、話を戻しましょう。阿笠氏の役目は、 蒼い宝石を盗み出すことでした。だが、村を出されてはそれもできない。 そこで同じような力をもつ石を作れないかと研究を始めました。 蒼い宝石に秘められているのは命の力。つまり不死不老の力です。 当時、その研究をしていた宮野夫妻はマッドサイエンティストと恐れられ 科学界から追い出された異端の存在。そんな彼らに研究費と研究所 さらには、ジンの存在を提供し、阿笠氏は独自の路線からジンの復活を企みました。』 「そして、邪魔になって私達を?」 『ええ。私はどうにか志保様だけでもお助けしたく、新一様にお願いして 守る力を授かりました。それが、蒼い宝石です。私は眠る志保様に宝石を飲ませ 彼らの毒を浄化しました。今も宝石は志保様の体内にあります。 だからこそ、式神が見え、私という式を使っても宝石の力で生気が補充される。 式神使いはこの村の4家と工藤家、ジン以外には存在しません。 志保様は、宝石の力による異例中の異例なのです。』 天孤はそこまで話すとゆっくりとスピードを緩めた。 『では、村に入ります。ベルモットとパンドラの話は、新一様からお伺いください。』 止まった天孤から志保は地面に降り、隣にたつ金色の狐を見つめる。 全てを飲み込むことも、完全に理解することもできたわけではない。 むしろ分からないことだらけだ。 「天孤・・でよかったかしら?」 『はい。』 「ひとつだけ、聞いてもいい?」 おそるおそる志保は金色の毛並みを撫でる。 「なんで、私を助けようと?」 『恩義と申しましょうか。 志保様はお忘れかもしれませんが、一度だけ助けてもっらたのでございます。』 天孤はそれだけ告げると、先導するように村の民家の隙間を歩き始めた。 遠くに大きな屋敷がみえる。 あそこに彼らはいるのだろう。大きな秘密を抱えて。 |