『天孤か?』

 

聞こえてきた声に、志保は視線をゆっくりと上げる。

大きな月をバックにして、立派な門のところにスラリとした影が佇んでいた。

 

―あかつき―

 

『これは、アヌビス様。お久しゅうございます。』

『敬語はいらねぇよ。んな、身分も変わらないだろ。』

『生きている長さが違いますから。』

 

志保の目の前に降り立ったアヌビスはいつの間にか元の大きさに戻った天孤を見た後、

大きなあくびをする。式神と言えど、夜明けに近い時間帯のため眠いのだろう。

志保は興味深そうに彼らのやり取りを観察していた。

 

しばらく互いのことを話すと(といっても、志保にはよく分からない式神の世界の話だ。)

アヌビスはようやく志保を視界にいれる。

 

その獣と会うのは2度目だが、こうして向き合うのは初めてだった。

 

『無事でよかった。まぁ、天孤がついているから大丈夫だとは思ったけどな。』

 

「おかげさまで。天孤って、そんなにすごいのかしら?」

 

新一から式神の力関係は以前に聞いたことがあり、

アヌビスやフォルスは最高位の力を持っているらしいことは分かっている。

それを2匹も使役する快斗は特例中の特例だとも。

そのアヌビスが認める自分の式神。志保は傍に大人しく座る天孤を見て軽く首をかしげた。

 

『もちろん。とっさの判断力はなかなかのもんだぜ。

 さてと、それで用があるのは残念ながら宮野女史じゃないんだ。』

 

「分かってるわよ。私の中にある蒼い宝石・・でしょ。」

 

フッと口元を緩める志保にアヌビスは細い金の瞳を見開く。

 

『知っていたのか?』

『私が話しました。』

 

そうアヌビスの問いかけに答えた天孤は、そっと志保と彼との間に歩み出た。

 

『アヌビス様。宝石をいかがするおつもりで?』

『取り出す・・って言ったら?』

『貴方様と言えど、殺します。』

 

天孤の綺麗な毛並みが、より一層美しく輝きを増す。

けれどそれはどこか棘のある、冷たい光だ。

 

「天孤?」

『シン様の作った宝石で生かされているため、それが無くなったら死ぬのですよ。』

 

月を遮るように大きな翼を広げ、一羽の鳥が舞い降りる。

快斗のもう一方の式神は、ことの展開を面白げに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

同じ頃、新一は屋敷の中を1人歩いていた。

朝靄のかかった庭を眺めながら軽く深呼吸をする。

一日の始まりであるこのときの空気を吸い込むことで、

まるで全身の悪いものが浄化される感覚が新一は好きだ。

 

庭の松ノ木に止まっていたジョウビタキが新一を見つけて飛んでくる。

鮮やかなオレンジ色の胸元の羽色はオスの特徴だ。

 

『おはようございます。新一様。お戻りになられたと聞いて、みな喜んでいます。』

「おはよう。俺も久々に村に戻れて嬉しいよ。」

 

小さな頭をそっと撫でて、新一は穏やかに微笑む。

“みな”とは、山の生き物たちのことだろう。

新一が生きとし生けるものと会話できることが周囲に知られない様にと

生き物たちは新一が1人で居るときにしかこうして話しかけてはこなかった。

 

『ところで新一様。不思議な女が村にやってまいりましたが、ご存知で?』

「女?結界は?」

『それが式神と一緒でしたので、難なく入ってまいりました。』

 

首を傾げてみせるジョウビタキに新一は顎に手を添える。

式神とともに村に入った女・・・。

もし、何か悪いたくらみで無理に入ってきたものなら、新一自身も

そして、この村を治める優作も気がつくはずだ。

 

「その女は今どこに?」

 

『この屋敷の入り口におります。新一様が連れてきた

新たな式神2匹が対峙していたように見受けられました。』

 

「アヌビスとフォルスが?」

 

『名は知りませんが。そうそう。女の連れていた式は、狐でございましたよ。』

 

その言葉に新一はツッと息を詰まらせ、そのまま庭へとおりる。

 

『新一様。せめて草履を。』

「それどころじゃないんだ。宮野が来た・・・。」

 

『大事な客人なのですね。分かりました。私が先に行って止めてまいります。』

「って。おい。」

 

肩から飛び立ったジョウビタキは、門の外へと消えた。

パタパタと小さな羽根を懸命に動かして。

 

「アヌビスとフォルスをどうやって止めるんだよ・・。」

 

幼いころから見知ったあの鳥が慌てものであることを思い出し

新一は小さくため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

門の外に出ると、心底参ったような様子の式神がいた。

小さな鳥に纏わりつかれて、うざったいとでも言いたそうな表情だ。

 

『新一!!これをどうにかしてくれ。』

『志保殿に手を出さないと言っても、聞きませんし。』

「わりぃ。サンキュ、もういいぞ。」

 

きちんと草履を履いて出てきた新一にジョウビタキは小さく鳴いて藪へと戻っていく。

どうやって止めるのか懸念したが、どうやらいらぬ心配事だったらしい。

きっと、森にいる仲間に彼は自慢げに今日のことを話すのだろう。

新一はそう思考をめぐらせながら、ゆっくりと彼らの傍に近づいた。

 

ジョウビタキが言ったように、対峙しているという表現は強ち間違いではなかったらしい。

天孤の輝く毛並みが警戒色に近いことは一目瞭然だった。

 

 

「工藤君。」

「宮野・・・巻き込んでごめん。」

 

天孤がどうしてそんなに警戒しているかは新一には分からない。

それでも、今すべきこと、注意を向ける相手は明白で。

 

見知った顔に志保はようやく心が休まる感覚を得たのであった。

 

 

 

 

 

 

「つまり、宮野の両親が博士に騙されて命を狙われ、

宮野だけが宝石のおかげで命を取り留めた・・ってことだよね。」

 

朝方、たたき起こされた快斗は眠そうに目元をこすりながら

隣の部屋で休んでいる志保のほうへ視線だけを向けた。

昨晩から、わけが分からないことが連続して起こったのだから

疲れが出るのは当たり前のことで。今は蘭と和葉が傍についている。

 

『要約するとそうなります。』

 

「で、非情な俺の式神たちが、それを取り返そうとしたから警戒した・・と。」

 

『おい。快斗。俺らは冗談で言っただけだ。』

『確かに宝石は返して欲しいですが、命を奪ってまで手に入れるものではありません。』

 

新一と天孤の視線が快斗の一言で険しくなったため、2匹は慌てて弁解の言葉を続けた。

 

 

新一と言葉を交わしたときに、緊張の糸が切れた志保はその場に崩れ

天孤と部屋まで運んだのが半時ほど前のこと。

それから志保の看病は女性陣に任せ、

屋敷にいる式神や男たちはこうして優作の前に集まっていた。

 

「いずれにせよ、志保君の件は私の責任でもある。

 阿笠を考えなしに追い出したのは私だ。

それに蒼の宝石をジンたちに渡すわけにはいかないからね。」

 

 

「では、一刻も早くジンや博士を!!」

 

「そやかてコゴロウのおっちゃん。ジンの居場所も分からんのに。」

 

身を乗り出し興奮するコゴロウに平次が呆れたように言葉を漏らす。

それにムッと眉間にシワを寄せ、反論しようと意気込んだ瞬間、

 

『ジンの居場所ならば知っております。創始様。』

 

天孤は鼻先を高く上げて、ゆっくりと告げたのだった。