〜月の桂〜 ―1― 「それでは、行ってらっしゃいませ。」 「道中、お気をつけて。」 見送る、2人の側室に軽く頷くと、快斗は使者を引き連れて伊勢へと向かった。 天皇と親しい関係にある快斗は、しばしば“狩の使い”を頼まれることが多い。 そして赴く地が、遠く九州であったとしても快斗は嫌な顔一つせず任務に従った。 だからこそ、側近の女達と過ごす時間はわずかで、 彼の側近は本当に彼に愛されているのか常々疑問を感じていたのだった。 「紅子様、また、あの方は行ってしまわれましたね。」 「そう気に病むことはないわ。いつものことじゃありませんか。」 哀しそうに後ろ姿を見送る、側室の1人、青子は同じ側室である紅子にそう言葉を綴る。 紅子はそんな青子に微笑みながら優しい声色で返事を返した。 彼には側室が5人いる。その中でも、2人はまだ目をかけて貰える立場ではあった。 それでも、この結婚は全て、お互いの家のためという理由で、 本当に愛されているかどうかは分からない。 「私はこんなにも愛しているのに。」 青子は傍にある、椿から一枝折ると、玄関にある花瓶に挿す。 紅子はそれを黙って見つめた。 「伊勢には絶世の斎宮がいらっしゃるそうですね。」 「心配しているんですか?青子様。」 「いいえ、斎宮は神の妻。そのような方に手出しするとは思えませんし。」 お家のことしかお考えでない方だから。 そう付け加えて青子は部屋の奥へと戻る。 紅子はそっと、青子が生けた花に手を触れた。 「彼の正室になりうる者がどうかあらわれませんよう。」 紅子はもう見えなくなった彼を追い求めるように、再び視線を外へと向けるのだった。 「何で、お前と一緒なんだよ。」 「しょうがないでしょ。僕も不本意ですが藤原氏の命令には逆らえませんし。」 馬を走らせながら、快斗は隣にいる白馬を見て深くため息をついた。 天皇から、もう1人派遣するとは聞いていたが、まさか彼だとは思いもしなかったのだ。 白馬は名馬“虎丸”にのって堂々とした態度で前を見据えている。 「でもさぁ、なんで馬なのに“虎丸”なんだ。」 快斗はふと、その名前を思い出して白馬に尋ねた。 どうみても、足のぶっとい馬なのに・・・・名前は“虎丸” 「虎のように強いからですよ。」 白馬は自分のネーミングセンスを馬鹿にされたような気がしたのか (まぁ、実際に馬鹿にしているのだが)不機嫌気味にふんっと鼻を鳴らして答える。 どこが虎なんだと突っ込みたかったが、不毛な口げんかは時間の無駄とばかりに、 快斗は口を噤んだ。 そんなこんなで、伊勢に到着したのはもう日が暮れた頃。 虎丸の走る速度が遅いせいだと快斗は内心悪態をつく。 「ふぅ、予想より早くつきましたね。」 「俺の予定では少なくとも日入り前にはつくはずだったけど?」 「またまたそんな強がりを。ところで、黒羽君。ここの斎宮の噂を知っていますか?」 白馬は馬から飛び降りると、固く閉ざされた門を見上げた。 りっぱな大木を用いて築かれた門は、暗闇でも充分に存在感がある。 快斗はそんな白馬の隣に並ぶと軽く首を振った。 「ここの斎宮は男を惑わすんだそうですよ。 過去、ここを訪れた狩の使い達は、戻ってきた後、必ず妻と別れるそうです。 なんでも、いつか彼女が斎宮を止めたときに、自分の妻として向かい入れられるようにと。」 「てことは、とびっきり美人さん?」 「ええ、まぁ、噂じゃ、その魂を抜き取るとか。」 白馬は身を震わせながらも、その門を大きく叩く。 しばらくして、その門が開くとそこには妖艶な美女が立っていた。 「遠いところからお疲れさまです。お疲れになったでしょう。」 通された客間には、お膳にたくさんの料理が並んでいた。 斎宮である美しい女性は、流れるような手つきで快斗と白馬にお酒を注いだ。 きっと、今までの人々にも同じような対応をしてきたのだろう、 その動きはひどく慣れていて無駄がない。 にっこりと微笑みながら尋ねられて白馬は全身を硬直させた。 美しい笑みとお酒を注ぐ白い手、そして流れるような黒髪。 白馬はその姿を盗み見しながら、今までの男達が妻と別れてしまった理由を実感した。 これほどの美女ならたとえ何年でも待っていようと思うはずだ。 実際、白馬もまたその美しさに、都一と評判の正妻の顔さえ忘れつつある。 「なぁ、あんた。一度、会ったことがないか?」 「く、黒羽君。斎宮殿になんて口の利き方を!!!」 「構いません。それに、お会いしたことはあると思いますし。」 茶碗にご飯をついで手渡すと、新一はゆっくりと頷く。 「黒羽君、君はいつのまにこんな美しい方に!!!」 「遠い親戚かな。」 「それに、まだ幼いときに一度です。 お互いうっすらと顔を覚えているか、いないかくらいの年でしたし。」 その言葉に快斗は内心、“2度だよ”と訂正を加える。 一度会ったのは、快斗もあまりはっきりとは覚えていないが、 父親に連れ立って7歳の時に新一のお屋敷を訪ねたことがあった。 話に熱のはいる大人達に飽きた快斗は、こっそりと抜け出して中庭に迷い込む。 そして、そこで庭で蹴鞠をする新一を物陰から見たのだ。 綺麗な着物を着ているのに、気にせず蹴鞠をするお姫様。 御簾の裏で品定めするように男をみる姫君達とは違っていた。 声をかけようと思ったが、楽しそうに蹴鞠をする姿に見とれてしまい、 ついには会話することなく帰路に就いたのだ。 その直後に父の地方への転勤が決まり、彼女が誰なのかは分からずじまい。 それでも、正室を向かえるのならばあのお姫様しかいないと幼いながらも心に決めた。 「なんとなく、分かった気がします。」 白馬は食事を終えると、片づけをはじめた新一を見ながらポツリと言葉を漏らした。 新一はそんな白馬に“何がですか?”という意味を込めて軽く首を傾げる。 「ここに来た男達が本妻と別れることですよ。」 「そんなことが、あっているんですか?」 「ええ、知りませんでしたか。」 少し驚いた仕草をした後で、新一は深くため息をついた。 ここに来る男達は己が女で無いとも知らずに、しきりに求婚してくる。 “ここを出た際には是非、我が本妻に” というおきまりの台詞で。 「絶対に無理と伝えるんですけどね。」 「何故ですか?」 白馬の言葉に新一は少し視線を外して、外を眺めた。 風が吹き、そこには押し迫った冬の気配を感じることができる。 朝方にでも神社の者が掃除でもしたのか、隅の方には枯れ葉の山もできていた。 「ここの神様は独占欲が強いんです。」 視線を再びこちらに向けて、その言葉とともにはなった笑顔はとても儚げだった。 |