日が傾きはじめてようやく子ども達は自宅の門をくぐった。 〜永久花・16〜 新一は夕食の準備を行いながらも、そっと子ども達を盗み見る。 いちばん最初に帰ってきた悠斗は、補習だったらしく教科書を開いて 明日の予習を行っている。 とは言ってもその目には文字の羅列など映っていないようだが。 次に帰ってきたのは由佳、友達とプールにでも行ったのだろう。 半乾きの髪をタオルで拭きながら、大きな欠伸をしていた。 「2人は違うな。」 皿を並べている新一に快斗はそっと耳打ちする。 彼も又、不自然にならないよう、グラスを並べていた。 新一もそれに軽く頷いて、壁時計を見上げる。 あと帰ってきていないのは2人・・・。 快斗の話では由梨は友人と遊びに出たらしい。 そして、雅斗は野暮用だとか。 「お母さん。どうかしたの?」 「え?」 「だってさっきから何度も時計見上げて。」 由佳は持っていたタオルを肩に掛けて、小首を傾げていた。 ついつい、時間を気にしている辺り、随分と動揺しているのかもしれないな。 新一は由佳の言葉に苦笑を漏らす。 由佳はそんな新一を不思議そうに見つめていたが、 暫くすると“テレビ始まっちゃう”と奥のリビングへ走っていった。 「新一。大丈夫?」 「何が?」 “何が”なんて聞かなくても分かっている。 それでも、そうしか言えない。 「エールの最終目的が新一ってこと忘れるなよ。」 快斗は困ったように微笑んで、メイン料理を取りにキッチンへと向かった。 精神的に追い込まれてしまっては、心に僅かな隙が出来る。 そこを攻め入ってくるのがエールの催眠術だとしたら。 「負けるかよ。」 ぼそりと漏れた言葉は誰にも届くことなく、消えていった。 それから数時間後に由梨と雅斗が一緒に帰ってきた。 「母さん、こいつ叱ってくれよ。本当に馬鹿なんだぜ。」 「雅兄。よけいなこと言わないで!!」 食卓に入るなり、笑いながら雅斗が由梨を親指で示すと、 由梨は慌てたように雅斗の腕を掴んだ。 その顔はどこか気恥ずかしいのか、赤みを帯びている。 「その前に、2人とも今何時だと思ってるんだ?」 「「8時30分。」」 あっけらかんと悪びれた様子もなく、2人は声をそろえて答えた。 もちろん新一が時計を読めないはずもないのだから、 その先に続く言葉など2人には分かりきっていたが、 それでも、反抗してみたくなるのがこの年の子どもなのだろう。 新一はそんな2人を軽く睨み付けて、ため息を付いた。 「まぁ、いい。で、由梨がどうかしたのか?」 「ああ。由梨のやつ、公園のベンチで寝てたんだ。 暗くなってるのにさ。俺が気が付いたからよかったけど。」 「寝てた?」 あの由梨が?公園で? 新一が横目でチラリと快斗を見ると、快斗は黙って頷いた。 おそらく、彼が催眠術をかけたのは由梨に間違いないようだ。 「由梨、なんで公園にいたんだ?」 傍らで聞いていた快斗は由梨の傍により、真剣な表情で彼女を見た。 由梨はそんな快斗の様子にとまどったのか少しだけ視線をずらす。 「友達と待ち合わせをしていたら眠ったんだとおもう。」 「友達って誰?」 「・・・あれ?誰だっけ?」 「由梨、快斗と奥の部屋に行ってくれないか。少し2人で話をしてきて欲しいんだ。」 必死に考え込む由梨に新一は優しく微笑みかけた。 由梨は困惑した表情ながらも頷く。 傍で聞いていた雅斗、それに集まってきていた由佳や悠斗は 訳の分からないと言った表情で新一を見た。 そんな彼らに新一は快斗が由佳を連れて行ったのを確認すると、3人をイスに座らせる。 どの程度まで話すべきなのか。新一はその優秀な頭脳をフル起動させた。 +++++++++++++++ 「ちょっと、どういうこと!!由梨は1時間で目を覚ますんじゃなかったの!? これじゃあ、由梨が催眠にかかったことばらすようなものじゃない。」 同時刻、偵察の連絡を受けたシャオは取り乱してエールに詰め寄った。 あんなにも簡単に彼らに誰が催眠を施されたのかばれてしまっては 計画が大幅にずれてしまう。 それでも、エールは特に気にした様子もなく自前のワインに舌鼓を打っていた。 「エールっ。聞いているのっ。」 「そう怒鳴るなよ、怒ると皺が増えるってよく言うだろう。」 シャオはエールの発言についに我慢の限界だったのか ワインを手に取ると思いっきり彼の顔にかけた。 白いシャツが赤ワインの色に染まる。 これ高かったんだぜ。 そう言いながらもエールの口調に惜しんだ様子はなかった。 どこまでも、不真面目な男。 それがエールだとシャオは思った。 約束通り集合したこともなければ、こんな風に時々わざと失敗をする。 そして、なにより腑に落ちないのは、大きな問題になり得る失敗であったとしても、 ジンが彼を外したり、罰を与えることが無いと言うこと。 以前、それをジンに尋ねたら彼は無機質な表情のまま答えた。 あいつの失敗にはなにか考えがあるんだ。と。 「ジン、今日こそは罰を与えるべきよっ。」 「そう騒ぐなシャオ。」 「でもっ。」 「俺の言うことが間違っているというのか?」 「・・・。」 シャオは傍のタオルをエールに手渡す。 エールは“サンキュ”と礼を言うとタオルを受け取った。 「悪かったわ。」 「いや、シャオが怒るのはもっともだしね。」 「ねぇ、貴方って怒ったことあるの?」 いつも彼は笑っている。 その笑みは、策士的な笑顔だったり、馬鹿にしたような笑いだったりと様々だけど。 けれど・・・“怒り”の表情は見たことがなかった。 「そりゃ、あるよ。いつのことかは忘れたけどね。」 立ち上がって、シャワー室に向かうエールをシャオは黙って見送る。 そして、やるせない気分のままソファーに体を沈めた。 「ジン、私は必要?」 「俺の性格くらいしっているだろう。」 「・・・知らないわ。」 傍に不要な物を置かないことは知っている。 だけど・・・。 シャオは言いしれぬ不安に押しつぶされそうになりながら、 自分の体をギュッと抱きしめた。 +++++++++++++++ 「新一。終わった?」 「ああ。ある程度まで話した。」 夕食も取らずに3人は自室へ戻ってしまったけれど。 新一はそう付け加えて、快斗の抱えている由梨を見る。 高校生になった彼女の寝顔。 それはひどく穏やかなもので、小さい頃と変わらない気さえする。 「で、催眠のほうは?」 「悔しいけど、解除不能だ。これ以上すると精神異常を招きかねないよ。 方法はただ一つ。後催眠が発動したときに解除するしかない。」 「そっか。じゃあ、由梨からは目を離せないな。」 「そろそろ部屋に寝かせてくるね。」 「ああ。由佳が今日から一緒に寝るから、大丈夫だろう。」 新一は快斗が部屋を出ていくのを確認した後、倒れるようにソファーに体を沈めた。 精神的に随分と疲れているのが自分でもよく分かった。 自分さえ居なければ。 そう思ったことが一度もないとは言えない。 だけど、そう思う瞬間、必ず傍にいる“やつ”がいるから。 「新一。体、冷えるよ。・・・ってなに、わらってんの?」 「ん〜。ただ、快斗がいるなぁ、って思って。」 山吹色のクッションを抱え込んで、新一はクスクスと笑った。 快斗はそんな甘え口調の新一を不思議に思いながらも、ソファーの近くの床に腰をおろす。 ちょうど、視線の混じり合う位置。しばらくジッとお互いの瞳の中を見つめた。 気が付いたらその瞳はグンと近くにあって、唇がそっと重なり合う。 そして、それはどんどん深いものへと変わっていく。 快斗は力の抜けた新一を抱き込んだまま、窓の傍にいる鳩に不適な笑みを浮かべた。 あの足にとりつけてあるカメラに見せつけるように、新一の細い首に唇を押し当てる。 「んっ・・快斗・・鳩がいるのか?」 「勤勉な鳩だよね。まぁ、もういなくなったけど。」 首もとに感じる暖かさに身をよじりながら、新一は潤んだ瞳で快斗を見上げた。 快斗はその瞳に溜まった滴に再び口づけをして、にっこりと微笑む。 「・・・にしても、変だな。」 コツンと快斗の肩に額を押し当てて新一は呟いた。 その言葉に含まれる意味を快斗も充分に分かっている。 なぜ、彼らはあんなにも由梨だと分かり易い催眠を施したのだろうか。 これならば、自分たちでなくてもすぐに由梨が催眠にかけられたと言うことが分かる。 初めの電話で、はっきりと誰だとは告げなかったから、 「ただの失敗・・・もしくは裏があるってことだよね。」 「失敗はあり得ないだろう。・・・だけど、俺にはその裏が全く分からない。」 悔しげな口調の新一を快斗はギュッと強く抱きしめる。 「新一、あんまり自分を責めるなよ。まぁ、言っても新一には無理だろうけど。 だからさ、その負担の半分でいいから俺にもちょうだい?」 「それができないことも、おまえには分かっているんだろう? 別に信頼していないわけじゃない。けど、快斗だって、いつも自分で背負い込む。 それなのに俺だけおまえに頼るって不平等じゃねぇ?」 肩から顔を上げて、まっすぐな瞳でそう述べる新一に快斗は深いため息を付いた。 確かに快斗も新一と同じ立場なら、新一に負担をかけまいと全力を尽くすだろう。 この弁論はどうやら新一に歩があるようだ。 快斗は諦めたような表情で、新一を見つめた。 「分かったよ。まぁ、俺がしつこくつきまとうからいいや。」 「ストーカーで訴えるぞ。」 「ひどっ!!こんなに優しい旦那様に向かって。」 「自分で言うな、自分で!!!」 新一は快斗を蹴り飛ばすと、冷めた夕食にラップをかけて片づけはじめる。 後ろで“暴力反対〜”などと騒いでいるどうしようもない旦那はこの際シカトだ。 「・・・まだ、言ってやらない。」 快斗の存在がどれだけ自分の支えになっているか。 快斗がいるだけで、心の隙もうめてしまえるか。・・・なんてことは。 言ったらきっと、呆気にとられた表情でしばらく固まってしまうだろう。 そして次の瞬間には強く抱きしめられることも容易に想像できる。 誓いのキスでささやいてやるよ。感謝も本当の気持ちも。 ・・・だから、それまではまだ、この気持ちは自分のもの。 |