「あら、ねぇ、新一君。あれ、何かしら?」 「さぁ、何かの撮影・・・みたいですけど。」 大通りに人が群がっている一角があり、その中心には数名の女性と撮影機材があった。 周りでは興奮する人々、そしてシャッターの嵐。 有名人か何かかとも思ったがどうやらそうでもないらしい。 そこに近づくにつれて、リポーターの声が鮮明に耳に入ってくる。 「さぁ、ここにいる3人の女性は、なんと、あの黒羽快斗の妻だと名乗り出た人達です!」 2人はその声に思わずお互い、無言のまま視線を交えた。 「うちの息子の妻ですって。」 「はは・・・。」 〜永久花・19〜 快斗の結婚相手が未だつかめないことに業を煮やしたどこかのテレビ局の企画だろうか。 周りに居た人々は、1番とか2番とか訳の分からないことを叫んでいる。 おそらく、誰が本物かと言うことだろう。 中央にいる候補者らしき人々は、年齢も見た目は30代以下と若い女性だった。 それなりに美人の部類にはいる、整った顔立ちをしている。 だけど・・と快斗の母はそっと隣にいる実の嫁を盗み見た。 どんなに綺麗な女性を用意したとしても隣にたつ“工藤新一”には勝てないだろう。 「じゃあ、自己紹介お願いしますね。」 「は〜い。1番、黒羽絵里、快斗に愛されちゃってる33歳です。」 「2番、黒羽佳美、夫のことを尊敬して止まない35歳です。」 「3番の静佳。彼の支えになれることを誇りに思う38歳です。」 1番の女性は現代風のぶりっこキャラ、 2番はキャリアウーマン系、 3番は良妻賢母な雰囲気の女性とタイプはバラバラ。 そして年齢も勘定が合うように、10歳以上年上に設定されている。 おそらく、これを見た人間は3人とも別人であることは分かっているのだろう。 つまりは、どんなタイプの女性があのマジシャンの妻になっているか予想する企画らしい。 「新一君、あれって腹立たない?」 「いや、もう呆れくらいの感情しかないっていうか・・・。」 快斗の母は少し不機嫌気味に新一を見上げた。 新一はそれに苦笑しながら、曖昧な返事を返す。 何というか、もはやかかわりたくもないと言った感じだろうか。 それでも企画はちゃくちゃくと進んでいるらしく、今度は子供の話になる。 長女は大学だとか、モデルだとか、適当な発言にさすがに新一も嫌気が差してきた。 まったく、人の家族をなんだと思っているのか。 そう思っていたとき、新一はふと、人々の波に押されて立ち往生している少年を見つける。 どこかで見た顔立ち・・・・ 「洋介君?」 道路の端まで押し出されているのは、間違いなく先程まで撮影現場にいた真代の一人息子。 ここは都内でも通りの多い街道・・・もし押し出されて車道に出たらひとたまりも無いだろう。 今まで、中心の女性達にばかり気がいっていたが、 よくよく見れば道が通れないで困っているお年寄りもちらほらと目に付いた。 「あの、お義母さん。」 「なに?」 “取材を辞めさせに行って来ます”と告げようとした瞬間、ついに恐れていた事態が起こった。 興奮する人々に押し出されて洋介が車道へと転がり落ちたのだ。 迫りくるトラック、パーパーとクラクションが響くが、少年は全く動けない。 「えっ、新一君!!」 それとは対照的に新一の体は自然と洋介のもとへ動いていた。 キキーーーーー 凄まじいブレーキ音に、人々は目を覆った。 取材チームも驚いたように車道へ視線を向ける。 カメラが自然とトラックのほうを映しはじめた。 おそらく彼らはこの事故の原因が自分たちにあるとは微塵も思っていないのだろう。 ただ、スクープ映像が撮れた。そんな表情だ。 「おい、大丈夫か。」 「子供は!?」 「ねぇ、女性が飛び出さなかった?」 ざわめきを増す現場で快斗の母は震える手をギュッと握りしめながら 恐る恐る車道へと近づく。 どうか無事でありますように。 そう祈りながら。 快斗の母がトラックの傍まで来たとき物陰から、新一が出てきた。 脇にはガタガタと震えて泣く少年を連れて。 緊張が解けた瞬間だった。 「洋介っ。」 息子を捜しに来たのだろうか、真代が洋介を視界に止めると 息を切らして走り寄り、ギュッとその両手で我が子を抱きしめる。 新一はその光景に穏やかな視線を向けた。 快斗がいたなら、危険だと怒られそうだったけど、本当に助かってよかった。 そう思えるのはまさにこんな瞬間。 「・・・新一君。」 「すいません。また、後先考えず突っ走って。」 「そんなことより、怪我は?もう、本当に心臓が止まるかと思ったんだから。」 そう言って快斗の母は新一の洋服についた埃をはらう。 少し青ざめたその表情に、新一はまた心配をかけてしまったとばつの悪い気分になった。 ほんのちょっと足首が痛む。 多分、洋介を抱え込んで中央線まで転がったときに痛めたのだろう。 だけどこれ以上快斗の母親に心配をかけるのは気が引けて 新一は“大丈夫です”と笑顔で答えた。 トラックから運転手が降りてきたのはそのすぐ直後。 どうやら警察と病院に電話を入れたらしい。 運転手は元気そうな2人の姿を視界に止めると安堵したのか、その場に崩れ落ちた。 「本当にすみませんでしたっ。」 運転手の30代半ばの男が地面にひれ伏すように頭を下げる。 きちんと着こなした服装に、整えられた髪。 きまじめな男なのだろう。 新一は頭を下げたその男の肩を軽く叩いた。 「大丈夫ですよ。きちんと制限速度で走っていらしたから、助かったんです。」 もし、もっと速い速度だったら避けきれずに引かれていたのは間違いない。 男はそれでも頭を上げず、すみません、すみません、と何度も謝った。 新一はそんな男の誠実さに感心しながらも、どうしても許せないことがあった。 それは周りでカメラを回して、謝る男を興奮してとっているカメラマンだ。 謝罪すべき人物は彼らであるのに、まさに高みの見物よろしくにやついた顔をしている。 そのうち、リポーターまでもが“凄い救出でしたねっ”と笑顔でマイクを向けてきて、 新一の頭の中で何かがプツリと音を立てて・・・切れた。 「少しインタビューしても構いませんか〜?」 新人アナウンサー風の女性は香水の匂いを漂わせ、 開いた胸元を見せびらかすような格好で新一に社交辞令の笑顔を向ける。 その後ろではないがしろにされた“快斗の奥様候補”が忌々しげな視線を向けていた。 「あの〜、聞いてます?」 語尾をかわいらしく上げる言葉遣いも、早く答えてくれと言った感じの視線も、 その全てが彼の神経を逆なでして 新一はカメラ機材の全てを使えないようにしてやりたい衝動に駆られる。 そんな気持ちを押さえ込みながら新一はゆっくりとカメラを見据えた。 ようやく見えた新一の表情に誰もが圧倒される。 集められた女達よりも綺麗で、 気品のあるその姿にリポーターまでがマイクを落としそうになる。 「一つだけ、言わせて下さい。」 その整った容姿に見合った美しい声に、その場は静まりかえった。 リポーターの女性はその音を逃さないようにグッとマイクを近づける。 新一は軽く深呼吸をして、向けられたマイクを払った。 「取材の一環で答えるあけではありません。 ただ、こんな企画のために交通を阻害されている人々や、 危うく命をおとそうとしたものが居るということをご認識いただきたいんです。 まるで第三者のような態度ですが、 あの少年が車道に落ちた原因は全てこの撮影にあるんです。 そしてあなた方の撮影によって健全なトラック運転手の未来までもが危うくなっている。 あなた方が一番にすることはスクープ映像の撮影でも、インタビューでもなく、 迷惑をかけた人々に謝罪することじゃないんですか?」 ひどく冷めた声。軽蔑するような視線。 その場に集まった野次馬が、思わず顔を下げる。 そして取材陣もリポーターも真っ青な表情になっていた。 あまりにも正論な意見。 反論の余地などは微塵もなかった。 「な、何よっ。ちょっと命を助けたからって偉そうに。 ガキがこんな場所に近づくのがいけないんじゃないっ。 私の旦那だって同じ事言うわ。」 静まりかえった雰囲気を断絶するような女性の声。 先程の“快斗の奥様候補”の1人、1番の絵里だった。 おそらく自分のイメージダウンを心配しているのだろう。 慌てたように自分たちに非はなかったと主張しようとする。 それが逆に、自分自身を追い込んでいるとは気が付かないで。 「旦那って?」 新一は感情を映さないような冷めた瞳を絵里へと向けた。 一応聞いておこうと思ったのだ、彼女の言う“旦那”を。 「く、黒羽快斗に決まってるでしょ。この問題の答えは私なんだから!!」 「そっか。黒羽快斗ね・・・。そうなのか?快斗。」 新一はクスッと笑みを浮かべて、人だかりに向けて尋ねる。 誰もがキツネにつままれたような表情で新一が問いかけた方向に視線を向けた。 人だかりがざわめきだし、コツコツと靴の音が聞こえる。 人々はまるでその音を阻害しないように左右に避け、小さな道ができた。 そしてその先に立つのは、今、まさに渦中の人・・・黒羽快斗。 薄いベージュのロングコートを格好良く着こなして、複雑な表情をしている。 周りの女性はまるで神聖なものを見るような視線を彼に向けた。 快斗の母は少し勝ち誇ったような笑みを浮かべる。 「快斗、バッチリ決めてね。」 目の前を通り過ぎる息子の耳元で快斗の母はそっと告げた。 彼に聞こえるだけの音量で。 それに、快斗は軽く頷く。 「なんで・・・ここに。」 絵里の顔から血色は失せ、その場にへたり込む。 こんな場所には現れないと思ってついた嘘だったのに。 カメラマンは勇気があるのか馬鹿なだけなのか、カメラを快斗に向ける。 快斗はそのカメラの前を素通りして、コートのポケットに無造作に手を突っ込んだ。 「いやだなぁ、俺、絵里ちゃんなんて女性、知らないよ。」 快斗は困ったように微笑む。 「でも、当人はご存じみたいだけど?」 「あれ?ヤキモチ?」 「ちげーよ。」 いつものような、日常の会話。 だけど、周りの人間はそんな最高の美形カップルに思わず凝視してしまう。 暫くして、ようやく我に返ったリポーターがマイクを拾って快斗に向けた。 こんな千載一遇のチャンスを逃す手だてはない、そんなプロ根性だろう。 もちろんその瞬間、快斗を取り巻く雰囲気が怒気を含んだものになったのだが、 幸か不幸かリポーターは微塵も気付いていないらしかった。 「黒羽さん、あの、奥様はいったい。」 「今の状況で分からないの?」 「えっ?」 いつもは社交的で、取材陣にも親切な彼が信じられないほど冷め切った態度をみせる。 数秒前まではあんなにも暖かで柔らかな表情だったというのに。 リポーターはそんな快斗に次の質問を投げつけられなくなった。 見間違いだと思いたいほどの強烈な視線・・・。 人を射殺せる程の視線だとリポーターは感じ、逃げるように彼らから離れた。 「まったく、無理し過ぎなんだよ。足、手当てするからね。帰ったら。」 快斗が再び新一へと視線を戻したとき、 そこにはリポーターに向けた表情は微塵もない。 いつものように優しい表情、まぁ、少し怒ってはいるようだが。 「あの場所からよく分かったな。足、くじいたこと。」 「当たり前でしょ。たっく、学校でテレビをつけたらこんなくだらない取材があっててさ。 辞めさせようと思って来たら、新一が居るし、 おまけにこんな無茶までして、平気そうに立って。」 快斗はそう言ってしゃがみ込むと新一の足首にそっと触れる。 「腫れてるじゃん。」 「大したこと無い。」 「あのねぇ、新一の大したこと無いはあてにならないんだよ。 後の始末は哀ちゃん達に任せて帰ろ?」 上目遣いにそう諭す快斗の言葉に逆らう術も理由も、もはや無かった。 人だかりをかき分けて向かってくる、哀や蘭達が視界の端に映り込んだ。 駆け寄ってきた哀の表情はこの上なく無機質なものだったけれど、 その瞳には煌々とした憤りを潜めている。 「黒羽君、工藤君の手当を頼んだわよ。私には、先にお灸を据えたい相手が居るから。」 「OK。」 平生の哀なら間違いなくすぐに新一の治療に徹しただろう。 だけど、今はそんな余裕のない程に怒っている。 当然のことだと快斗は思った。自分だって今すぐ彼らを殴り飛ばしたい。 それでも、そんなことを新一が望むはずはないから。 快斗はそう思いながら、哀達の走り去った方向を不思議そうに見ている新一を 自分の腕の中に引き寄せる。 新一は腕の中に収まりながらもとまどったように快斗を見上げた。 「おい、快斗っ。人が・・。」 「新一が無事なことを実感させてよ。」 そう言って肩に顔を埋める快斗に新一は“悪かったよ”と呟いて彼の背中に手を回した。 それから暫くしてパトカーのサイレン音が聞こえてきた。 加えて救急車特有のサイレン音もそれに混じっている。 音が直ぐ傍に感じ取れたときには、数台のパトカーと救急車が視界内に確認できた。 先頭の黒塗りの車が見事なハンドルさばきで、歩道に横付けする。 運転席から背広姿のが刑事らしき男が出てきて後部座席の扉を開けた。 下りてきたのは黒のコートを羽織った、白馬。 彼の車に続くように後からやって来たパトカーが止まる。 数分のうちに現場は制服姿の警官、背広の刑事で一杯になった。 「工藤君、あとは僕らに任せてください。」 「わりぃな。白馬。」 「いえいえ。僕がしたいから、しているんですよ。」 「それじゃあ、迷惑ついでにあのトラックの運転手さん、弁護してやってくれ。 気は真面目そうだし、あの人の責任じゃないから。」 白馬は新一の言葉にチラリと歩道の脇にうずくまっている男を見た。 白馬もこいれまで様々な犯罪者と向き合ってきた男。 一目でそのトラック運転手が誠実な男なのだと悟った。 「分かりました。あと、黒羽君。あんまり見せつけるんじゃありませんよ。」 「うるさい。シロバカ。」 抱きついている現状を指摘されて、快斗は新一の肩から顔を上げるとベーッと舌を出す。 白馬はそんな彼に苦笑を漏らしながら、周りの警官に的確な指示を出し始めたのだった。 |