「な・・んで。」 驚きを隠せずに倒れていく女を由梨はジッと見つめていた。 己の手に持ったナイフをギュッと握り締めて。 〜永久花・41〜 一瞬、由梨の暗示が解けたのかとも思った雅斗だったが、 表情を変えないエールを見て、即座にその考えを棄却する。 間違いなく、これはエールの指示なのだ。 その証拠にシャオが見つめていた先に居たのは、この食えない男だったから。 「ガハッ・・・。エール・・どうして・・・。」 血を吐きながら、シャオはエールを見据え、這い蹲って彼の元へと近づいていく。 そして足元まで達すると、恨みを込めた手つきで彼のズボンの裾を掴んだ。 それを見下ろすエールの視線は氷のように冷たく、笑みさえも浮かんでいる。 雅斗はその光景に、こいつらは狂っているとしか感じられなかった。 「どうして?もちろんジンの指示だ。おまえはもう用済みだってさ。」 「う・・そよ。」 「ウソじゃない。俺だってできることなら黒羽快斗と一戦交えたかったんだぜ。 なのに、おまえのせいで、こいつらの始末とおまえの始末を任されるし。 なぁ、いい加減気づけよ。勝手に行動した次点でお前の末路は決まってたんだ。」 エールは冷淡に告げると、足を動かし、シャオを振り払う。 その場に転がった彼女は、呼吸はしているものの抜け殻のようで。 思わず顔を背ける雅斗にエールはククッとのどの奥で笑う。 「これが裏社会だぜ。雅斗。おまえの親父だって似たようなことをしてきた。 自分を貫くため、護るため。裏切りは最大の戦術だ。なぁ、3代目。 おまえがそれを受け継ぐなら、現実から目を逸らすなよ。 きれいごとだけじゃ、すぐにあの世行きだ。って、今すぐに・・か。」 ギリッと拳を握り締めて雅斗はエールをにらみつけた。 そんなこと、今更言われずとも分かっている。 幼い頃から、新一には内緒で快斗から教えられた数々の言葉。 新一が正義を貫けるよう、俺はどんな汚い所業でもしてきたんだ。 違法行為も倫理的に外れることも。 一度、闇に関わった人間は、絶対に闇から逃れられないからな。 きれいごとで全てが片付かないことくらい、分かってる。 そんな覚悟は当の昔にきちんとしていた。 いや、していたはずだった。 「さて、俺を退屈させないでくれよ。KID。」 ナイフを持ったまま固まっている由梨を一瞥して、雅斗はゆっくりと深く呼吸する。 目の前の男を倒し、由梨の暗示を説いて、シャオを助けたい。 もし、彼女が死ねば、妹は殺人者となってしまうから。 甘い考えだとは思いつつも、雅斗にはどれも捨てることはできなかった。 催眠術を得意とするからといって、他の攻撃面が劣るわけではない。 それは分かっていたが、まさかここまでとは・・と雅斗は奥歯をギリッとかみ締めた。 相手の攻撃を避けながらも、どうにか由梨やシャオの2人と エールの距離を離すことはできたが、無傷とはいえない状況だ。 腹の辺りに滲んだ緋色が、白い戦闘服を染めていく。 その光景にエールはつまらなそうに舌打ちした。 「とんだ期待はずれだな。おまけに傷が開いたってとこか。」 数日前に組織から抜け出す際、負った傷は哀によって丁寧に治療されてはいたが やはり完治した状態とは言えず、今は彼女の処方した痛み止めで どうにか意識は保っていられる。 それでも不利な状況であることは間違いなかった。 だが、勝因が無いわけではない。 これでも3代目のKIDの名を継いだのだから。 「余裕でいられるのも今のうちだ。おまえこそ大好きな催眠術は使わないのか?」 「知ってるくせに、嫌なガキだぜ。」 エールは忌々しげに吐き捨てると、銃を再び向けてくる。 それをどうにか避けながら、雅斗は彼との距離をじわじわと詰めていった。 「同時に催眠術をかけれないなんて、な。」 「挑発しても黒羽由梨の術を解く気は無い。」 「そうか。なら、こっちもそろそろマジで行くから。」 言葉と同時に無防備に突っ込んでくる雅斗にエールは目を大きく見開く。 あまりにも隙だらけの彼に、別の思惑があるのではないかと思えるほどで。 一瞬、その裏を考えてみたが、とりあえずはチャンスだと思い、 エールは銃口を急所に向けて放ったのだった。 「はぁ、本気で死ぬかと思った。」 「あのくらい避けきれないんじゃ、話にならないわよ。ね、シャオさん? じゃなくて、・・・小峰さん。」 気を失ったエールに手錠をかけていたシャオは、振り返るとにこやかな笑みを浮かべる。 そして一瞬にして、変装をとき、ウェディングプランナーの小峰ゆうに戻った。 「雅斗くんはいつ気づいたのかしら?」 独特の口調は、元の姿よりも変装した状態で話してほしいかも。 と思いつつ、雅斗は腹部を押さえてその場に座り込む。 自分がエールの注目を一気にひきつけることで、 距離をとった小峰と由梨に彼を倒すきっかけを与えたのだ。 「由梨が刺してしばらくしてからかなぁ。なんか、血の色が不自然だったし。 それに、落ち着いて考えてみれば由梨が人を刺すことなんてありない。 例え操られていても・・・な。」 「だから私の演技って分かったわけかぁ。この血、FBI科学者の自信作なのよ。 きっと彼らが知ったらがっかりするわね。」 服についた血糊を拭いながら小峰は楽しそうに笑って、雅斗の腹部を見る。 パックリと開いた傷に隣に立つ由梨が眉間にシワを寄せた。 「こんな傷でよく避けれたわね。」 「小峰さんくらいだよ。そんな褒め言葉くれるのわ。で、シャオと悠斗は?」 「私達の仲間がシャオを拘束し、悠斗君は由佳ちゃんのところじゃないかしら。」 「催眠も、小峰さんが解いてくれたの。」 彼らとバラバラに別れた後、仕掛けたのはシャオだった。 だが悠斗がそう簡単にやられる筈も無く、一進一退の攻防が続いたという。 さらに、最悪なことに由梨は悠斗に向けて攻撃を仕掛けてきた。 2対1の状況下で、なんとかなったのは、由梨に葛藤があったから。 これでも由梨と悠斗は双子だ。 誰よりも同じ時間をこの世で過ごしてきた。 そんな相手を殺すことなどできるはずもない。 しかしシャオに集中できない分、不利であることに変わりは無くて・・・。 どうしようかと逡巡していたとき、小峰が草陰から現れたのだ。 「葛藤している状況と、術者が遠くにいる状況。これらが揃えば術の効力は弱まるわ。 それに、エールとは兄弟弟子みたいなものだったから。 彼の術の欠点は知っていたってわけ。」 「あとは私が正気に戻って1対3。さすがのシャオもお縄ってことね。 でも、まさか小峰さんがFBIの一員だったなんて思わなかった。」 応急処置を施しながら、由梨は小さくため息をつく。 きっと祖父である優作が秘密下に依頼したのだろう。 そう考えると、どこか悔しくて。 表情の暗い彼女を見て、小峰はそっと由梨の頭を撫でる。 優しい手つきはやはり女性のようで、由梨は小峰の真の姿は別にあるのではとも思えた。 「元FBIよ。優作さんも有紀子も手出しはしてないわ。 それにね、由梨ちゃん。あなたの強い自我が無ければ、私でも彼の術は解けなかった。 彼は1人に対して絶対的な力で全てを操るから。抵抗できるだけですごいことよ。」 「でも・・・足手まといにしかならなかった。」 術がとけて思い出した様々なこと。 自分だけが突っ走って、挑発に乗って、迷惑をかけた。 あれほど単独行動はするなと、快斗にも言われていたというのに。 「由梨ちゃん・・・。」 「由梨。悩むのはまだだ。母さんが帰ってきたら、いっぱい悩め。」 「ちょっと、雅斗君!?」 厳しい口調の彼に小峰は非難めいて彼の名を呼ぶ。 だが由梨はその言葉にハッと顔をあげ、ゆっくりと頷いた。 きっとこれが兄弟の信頼関係なのだろう。 小峰は敵わないとばかりに小さく口元を緩める。 「じゃあ、私達は戻りましょう。雅斗君もこの怪我じゃ、足手まとい。 由梨ちゃんも術が解けたとはいえ、精神的に不安定だわ。 それにこのどうしようもないカスを連れて行かなくちゃだし。」 ここは譲れないわよ。 そう腕を組み宣言する小峰は今までに無く男らしかった。 |