「詳しく話して貰おうか。えっと、名前は?」 「芹沢あきら。偽名だけど。・・・それとさっきは見た目で失礼なこと言って悪かった。」 「まぁ、謝り方としてはイマイチだけど、許してやるよ。」 ポンポンと濡れた頭を叩いて新一はクスクスと笑う。 「なぁ、あんた凄いな。名前は?」 「工藤。こちらも偽名だぜ。」 「工藤さんね。何か聞いたことある名前だな。」 芹沢と名乗った少年はそう言うと、カップを差し出して“もう一杯”と告げる。 今度は甘くしてやるか。新一はそれを受け取って砂糖とミルクを入れてやった。 +もうひとりのユダ+ 二杯目のコーヒーを飲みながら新一はあきらの話を聞いていた。 「俺の両親はある家に仕えていた人間で、両親はその従者としてある程度の地位を確立していた。 だけれど、2年前、内部で一度ちょっとした争い事が起こってさ。 あっけなく2人とも殺されんだ。俺はそのことが許せなくてそこを逃げた。」 「で、どうしておまえが狙われると?」 あきらの話しに身近な人間を思い浮かべながら新一は尋ねる。 それにうんと彼は軽く頷いた。 「これ。送られてきたんだ。」 あきらはジーパンから紙を取り出す。 雨のためにグシャグシャに濡れて所々破れていたけれど、 そこに記された文字だけははっきりと分かった。
「聖書の一節か。」 「おおかた殺された人にも届いたと思うけど。 イタズラ程度にしか思わなかったんだろうね。」 「だろうな。」 手渡された紙切れを丁寧の引き延ばして新一はそれを眺める。 「・・・なぁ。」 「分かってる。黙ってろ。」 雨音に交じって感じたのは人の気配。 それも極力気配を消しているのが感じられる。 ただ者ではない。 新一は目の前で先程の強気な表情を一変させているあきらを見ながらそう思った。 拳銃は・・・ 新一は少しだけ視線を事務所の奥にある自室へと向ける。 もしものタメにと、机の一番上の引き出しに収めていたはずだ。 「こっちだ。」 飲みかけのコーヒーを放置して新一はあきらの腕を掴んだ。 この状況を見ればきっと部屋を探し回ることは分かっている。 少しだけでも時間稼ぎができればと、あきらは新一の手を振り払って扉へとむかう。 カギをかけようと思ったのだろう。 だが、その行為はあっけなく扉にむかって放たれた銃弾によって阻止された。 「おいっ!!」 新一の表情に緊張が走る。 粉々に砕かれた入り口、飛び散る血痕。 「大丈夫、掠っただけ。」 あきらは気だるそうにガラスの破片の中から起きあがって笑った。 だけれどその体は次の瞬間、グイッと大きな腕によって持ち上げられる。 「探したわよ。5人目のユダさん。」 あきらをつかみあげた男の後ろから信じられないほど幼い少女の声が響く。 「こんなところに逃げ込んで、私を甘く見ないでよ?」 ふんわりとウェーブがかった金髪にピンク色のレースのついたかわいらしいドレス。 大きな茶色の瞳に桜色の唇、そして雪のように白い肌。 大男の後ろから出てきた少女はまさに、フランス人形のようだと新一は思った。 「・・・キル。」 「その恐怖に滲んだ瞳が好きよ。私。」 無邪気な声には不釣り合いな内容。 まるで罪の意識など存在しないかのように、 少女は手に持っていたナイフを少年へと向ける。 そしてその鈍く光るナイフをペロリと舌でなめると、少女はまっすぐに新一を見つめた。 「No.6。あきらを連れて行って。」 「キルサマハ?」 「後で行くわ。」 大男はゆっくりと一礼すると、あきらをつれて階段を下っていった。 新一はそれを止めるために声を発しようとする。 だが、突然投げつけられたナイフを交わすためにそんな暇はなかった。 「あら、いい反射神経。私のナイフを交わせた人、初めてよ。」 少女は新しい玩具を見つけたときのようにキャッキャと笑って喜ぶ。 罪の知識が全くないことほど怖いことはない。 新一は少女の笑顔を見て漠然とそう思った。 「強そうだし、きれいだし。ご主人様も気に入るわ。」 「“ご主人様”が誰だか知らないが、気に入られても困るぜ。」 「あら、あなたに拒否権はないの。このキル様が認めた。それだけで十分じゃない。」 キルと名乗る少女はそういってパチンと指を鳴らす。 すると、先ほどでていった大男とよく似た格好の男が3人ぞろぞろと雁首をそろえた。 「No,3,4、5。彼女を丁重にお連れして。」 「「「仰せのままに」」」 男たちの返答に満足したキルは悠然と部屋から去っていった。 「・・・遅い。」 快斗は時計をにらみつけながらうろうろと部屋を歩く。 本来なら外に探しに行きたいのだが、 “今の勢いだと関西方面まで探しに行きそう”との由佳の意見で連絡待ち係となってしまったのだ。 子供たちと隣家の二人が家を出て20分。 遅いと発言するには早すぎるのだが、 快斗にとってはその時間が3時間にも4時間にも感じられて仕方がない。 新一が行方しれず。 その事実だけで快斗の心は平静を保てない。 こんなにも弱かったかと快斗は自嘲めいた笑みを漏らした。 だけど、それは悲観的な感情ではない。 それだけ新一が大切なのは昔から変わらない気持ち。そしてこれからも。 そんなことを思っていたとき、テーブルの上の携帯電話がバイブする。 新一が置き忘れていったものだ。だからこそ連絡が取れなくて困っていたというのに。 「はい。」 『工藤君!!よかった、事件に巻き込まれたんじゃなかったんだね。』 「え?俺は黒羽ですけど。」 高木の心底安心した声に、快斗の心情は大きく波を立てる。 そして、その返答は高木を再び緊張めいた声色にさせた。 『黒羽くん。工藤君は?』 「それが、いま、行方しれずなんです。何かあったんですか?」 『少年の遺体が発見されて・・今回は全身そろってたけど・・・。 その上着の内ポケットに、工藤君の探偵事務所の地図が入ってた。』 高木の声がひどく遠くに聞こえた。 快斗が事務所に向かったときには、警察関係者や雅斗たちもやってきていて 事務所は人でごった返していた。 佐藤は快斗に気がつくと悲痛な表情で現場の状況を伝える。 「付近に飛び散っていた血痕は、殺された少年のものだったわ。」 「そうですか。それで、何か手がかりは?」 「いいえ。この雨じゃ目撃証言も少なくて。」 佐藤はそういって未だ激しく窓を打ち付ける雨に視線を向けた。 快斗は佐藤の返答に軽くため息をつく。 こんな時ほど警察の無力さを感じたことはない。 もちろん彼らも人の子だ。万能な機械などではない。 証拠や手がかりがなければ、前へは進めないのだ。 快斗はざっと部屋を見渡して、先ほどから気になっていた 壁に刺さった状態のナイフへと近づく。 そして、軽くしゃがむと突き刺さったそれを丹念に観察した。 ざっくりと、刃の半分が事務所の白い壁に突き刺さっている。 「それ、抜こうとしても抜けなくてね。」 佐藤はそういって困ったように肩をすぼめた。 「一般人には無理ですね。」 「ええ。私たちもこれは“プロ”の犯行とにらんでいるわ。」 佐藤が眉間にしわを寄せて、天井を仰ぐ。 「それで、あの一連との事件との関係があると判断された理由は?」 「あら?そんなこと言ったかしら?私。」 「いえ、電話で高木刑事が“今回は全身がそろっていた”と不思議がっていたので。」 苦笑しながら快斗は現場で指揮をとる高木に目を向ける。 今では警部補に昇進した彼。 最近では捜査を仕切るほどの腕前を見せつけてくれると新一も誉めてはいたが。 どうも、あのお人好しはまだまだご健在らしい。 「もう、高木君たら。極秘事項なのに。」 佐藤はあきれ口調ながらも優しい色を瞳にたたえていた。 「極秘であっても調べますけど。」 「そうでしょうね。はい、降参よ。これ。」 「・・・ユダ?」 快斗は手渡されたメッセージカードを見て、さらに表情を険しくする。 「そう。一連の事件には必ずこのメッセージカードがあったの。」 佐藤はそう言って重々しくため息をついた。 ユダ。彼の名前を知らないものは世界にほとんどいないだろう。 裏切り者の代名詞。そして、何よりも興味深いのは“もう一人のユダ”の話だ。 弟子12人の空きを埋めるために加わった新しい弟子もまた“ユダ”だったのだから。 「“その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。” そんな聖書の一節まで送られるんだな。」 「「く、工藤君!!」」 その場で現場を探っていた警察の面々は驚いたように入り口に立つ“工藤新一”を見つめる。 「ご心配おかけしてすみません。犯人を追っていたんですがまかれてしまって。」 新一はすまなさそうに顔を伏せるとギリッと手を握りしめた。 「工藤君が謝ることはないわ。それに無事で何よりよ。 あとは私たちに任せて。それと事情聴取を・・・。」 「佐藤刑事。もしよろしければ、事情聴取は1時間ほど待ってもらえませんか? 新一を少し休ませたいので。もちろん早期解決が必要な事件とはわかっていますが。 新一も頭の中を整理した方がいいと思いますし。」 「黒羽君・・・そうね。わかったわ。」 割って入ってきた快斗の言葉に佐藤は納得したようで柔らかくほほえんだ。 だけど佐藤は、そう言いながら快斗の表情がどこか曇っているように感じて眉間にしわを寄せる。 それは長年のつきあいだからわかる程度の変化。 帰ってきて嬉しいはずなのに。おかしいわ。 佐藤はそう思ってそっと快斗と話す新一を見る。 いつもなら、体のことはいいから事情聴取を、と快斗とけんかになるはずなのに。 今はひどく落ち着いていて、柔らかな笑みまで浮かべている。 あれは・・・本当に工藤君? 「佐藤刑事。」 佐藤が凝視していることに気がついたのだろう。 雅斗が小声で彼女に話しかけ、視線をうまく逸らさせた。 「あいつが何者かわかったら連絡しますから。あんまり見つめないでください。 こっちが気づいているってばれると元も子もないし。」 「え、それじゃあ、やっぱり。」 「母さんはあんな不細工じゃないですよ。皮だけ被っても俺たちの目は誤魔化されない。」 底冷えするような視線に佐藤は軽い寒気を覚える。 まだ、若干15歳ほどの少年がたたえる瞳の色ではない。 だが、快斗の子供だからと思えばそれはひどく納得できることで。 佐藤はそう思いながら、ここからは介入すべきではないと判断し、軽く頷いた。 |